以前から教育学部について話したいことがあると思っていたので。試験が終わって一段落して趣味ばかりというのもなんだと感じて。
この日記を以前から読んでいることにとっては自分が教育学部の人間というのは知られていることで。なぜ教育学部に来たか、それを最初に書くことにする。
教師になろう、と思ったのは中学2年の時。中学に入ったばかりの自分は理科ができずに最初の試験でも結構悪い点を取っていた。
そんな自分が変わったのは中学の理科の先生の影響で。小学校とは全然違う、そう感じたものだった。顧問の先生で理科の協会員だったことで毎日のように理科室に行ってわからないことを聞いて。今思うと絶対にうっとうしかっただろうな。それでも教えてもらって…
実験する度にいろいろとわかるのが楽しくて仕方なかった。
高校になって将来を考える時にそんな先生になりたいな、それだけの思いで教育学部を目指した。結構こういう人は多いようで。
あと父さんの影響だろうか…教師をしていて同窓会とかに呼ばれて困ったようにしながら楽しそうな父さんがいて、結婚の報告が来るたびに高校の時は…などと口にしていた。それがすごく印象に残っていた。
そういうわけで教育学部に入ったのだが…まぁ現実はそう簡単なものではなく…理想と現実の間に深い何かがあったのは事実。
実習に行ってそれをより実感して教師になることを諦めた。それは後で書くことにしよう。
さて、そもそも教育学部とは何か。
簡単に言えば教員を育成するところだろう。けれども実は教員免許は教育学部で無くとも取れる。理学部、法文学部でも必要単位を満たすことで免許を取ることもできる。
今思うとこっちの方が理科を十分堪能できたのでは、と思う。
では教育学部に行く利点は何か。
まず教育について専門的に学べること。他学部からの場合は二足のわらじを履いて…と結構忙しい。あと教育学部であれば複数免許の取得も簡単。ついでに留年は無い(実習に必要単位があれば実習に行け、卒業に必要な単位があれば卒業できるという感じ)
友人たちには技術と理科、数学と理科、数学と国語といった変わり種から理科と家庭科という訳がわからない人たちがいる。
自分の好きな教科ができることは楽しいだろう。
そして問題点。挙げたらきりがない。自分で体験済みのことばかりなので…結構現実味あり。
まず理科よりも学部共通科目の方が確実に多い。心理学やら教育学といったものがほとんど。実際自分の場合専門の取得数が少ない方だが共通科目の方が倍近く多い。
そしてわかりにくい。
留年という概念がないと言ったのはじっしゅうや卒業までに必須単位をそろえたらいいということから。つまりどれを取るかは自分次第。
従って失敗したら実習に行けない場合がある。同級生数名は現在の時点で今年行けないことが確定している。そんなこともある。
ついでに言えば実習が多い。
参加観察実習(教育実習生を見るというもの 2年夏)や介護等体験実習(老人ホームなどに実習に行く 2年夏)そして教育実習(そのまんま 3年夏)がある。夏にあるということはすなわち夏休みが削られる。
あとこれは個人的なことだが…専修ごとの絆を重視しすぎる傾向がある。専修ごとの集まりはしょっちゅう。飲みも専門ごとに、とかなり狭い枠で行動していることがある。
サークルなどに入らないと他の専修と関わりがない場合が多い。
自分が教育学部で感じたことはこんなところだろうか。
しかし去年の夏ぐらいだっただろうか…参加観察実習で実習校に行った時に教師になることをやめよう、と思った。
http://diary.note.ne.jp/d/11549/20030910.html
http://diary.note.ne.jp/d/11549/20030911.html
http://diary.note.ne.jp/d/11549/20030913.html
http://diary.note.ne.jp/d/11549/20031002.html
http://diary.note.ne.jp/d/11549/20031003.html
以上が5日分の記録。詳細事項が無いのはそういう決まりだから。実習校については書けないし、生徒のことについてもだめといろいろと規制がある。それがあるけど…できるだけ書こうと思う。
まず思ったのが授業を受けていた時と授業を教える方に立つと言うことは全く別だということ。逆ではなく違う、別物。
そしてただ教えるだけではなくどう教えるか、どこを中心に言いたいかなどいろいろと考える必要性がある。それが実習の難関のひとつの指導案。
現在ではパソコンでテンプレートを使ってすることが多いが(むしろ8割方それ)残り2割は…手書き。自分は少数派の手書きらしい。体験が大事と行っていたが実際に使えないことを体験したところでそれは無駄。
パソコンで書くにしても一太郎が主流だったりする。ワードは指導案を書いたりするのに向いていないため。そして教育現場ではDOSの頃から使っている人が多いので一太郎が主流。持っていると良いかもしれない。
ただし採用試験はワード。矛盾しているが仕方ない。
話は変わってしまったが、教えてもらう方が想像通り楽だ。どう教えるかコツがわからないとどうしようもない。
自分が教師になるのを諦めたのはこの実習がきっかけ。
まず先輩たちを見ていて自分の精神状態がついていけない。体力も付いていかない。
実習は基本的にずっと立ち。腰を痛めている自分には拷問の一言。昨年の実習でも実習後腰を痛めて寝ていたほどだ。
そして大学に戻り講義を受けていくうちに自分は教師に向いていないのでは、と思うようになった。自分から学ぶ精神が必要など…自分には到底ないと思われることが必要になる。
決定的だったのはやはり実習校に行った時のこととの矛盾。現実と理想が食い違い、現実の前に自分の夢とか理想がいかに無力かを突きつけられたとき、自分には無理だと悟った。
教育は今から変革を迎える。今まで以上にいろいろと変わっていく。それは自分たちが受けた教育が不完全で、かつだめだということから。
単刀直入に言えば自分たちは「実験で出た不良品」と言える。それは教育学部に来たら嫌と言うほど言われることだ。
教師は自分の受けた教育をまねする傾向があるという。いろいろと変わっていく中で自分たちの受けた教育は否定され、今から自分で考えた教育をしないといけなくなる。
教育学部にきて自分は単位にばかり目が行き、単位が取れたらいいと考えていた。今から教育学部に行く人は教師になるという夢を持った人が多いだろう。
それは大切にして欲しい。いざ大学生になればバイトにサークルにと忙しい。そして単位を取らないと実習に行けないと焦る。今の自分のように。
ただ本当に教師になりたいのだったら教師になったときこの知識がどうやったら役立てることができるか考えて講義を受けて欲しい。
教育学部は教師を育てることが目標だろうけど、それ以上に今生まれている子供たちをちゃんと育てるための人を育成する場所でもあるはずだろう。
自分は教育学部に入るとき夢があった。書くのは恥ずかしいが、理科が好きな子供を一人でも増やしたいという無謀な夢が。それは中学の理科の先生…自分の恩師が自分にしてくれたこと。
理科は難しいものじゃなくて楽しいものだ、それを教えたいと思っていた。
現実の前に無理だと気づいたのが遅すぎた。
今教育学部にいる人でほとんどは教師になるかもしれない。一部は教師にならない道を選ぶ。
教育学部に来たから教師になる、それだけが道じゃないと思う。
自分は教育学部に来てよかったと思う。いろいろと知ることができたし。大学で道を変えても良いんじゃないかな、と思う。
この日記を以前から読んでいることにとっては自分が教育学部の人間というのは知られていることで。なぜ教育学部に来たか、それを最初に書くことにする。
教師になろう、と思ったのは中学2年の時。中学に入ったばかりの自分は理科ができずに最初の試験でも結構悪い点を取っていた。
そんな自分が変わったのは中学の理科の先生の影響で。小学校とは全然違う、そう感じたものだった。顧問の先生で理科の協会員だったことで毎日のように理科室に行ってわからないことを聞いて。今思うと絶対にうっとうしかっただろうな。それでも教えてもらって…
実験する度にいろいろとわかるのが楽しくて仕方なかった。
高校になって将来を考える時にそんな先生になりたいな、それだけの思いで教育学部を目指した。結構こういう人は多いようで。
あと父さんの影響だろうか…教師をしていて同窓会とかに呼ばれて困ったようにしながら楽しそうな父さんがいて、結婚の報告が来るたびに高校の時は…などと口にしていた。それがすごく印象に残っていた。
そういうわけで教育学部に入ったのだが…まぁ現実はそう簡単なものではなく…理想と現実の間に深い何かがあったのは事実。
実習に行ってそれをより実感して教師になることを諦めた。それは後で書くことにしよう。
さて、そもそも教育学部とは何か。
簡単に言えば教員を育成するところだろう。けれども実は教員免許は教育学部で無くとも取れる。理学部、法文学部でも必要単位を満たすことで免許を取ることもできる。
今思うとこっちの方が理科を十分堪能できたのでは、と思う。
では教育学部に行く利点は何か。
まず教育について専門的に学べること。他学部からの場合は二足のわらじを履いて…と結構忙しい。あと教育学部であれば複数免許の取得も簡単。ついでに留年は無い(実習に必要単位があれば実習に行け、卒業に必要な単位があれば卒業できるという感じ)
友人たちには技術と理科、数学と理科、数学と国語といった変わり種から理科と家庭科という訳がわからない人たちがいる。
自分の好きな教科ができることは楽しいだろう。
そして問題点。挙げたらきりがない。自分で体験済みのことばかりなので…結構現実味あり。
まず理科よりも学部共通科目の方が確実に多い。心理学やら教育学といったものがほとんど。実際自分の場合専門の取得数が少ない方だが共通科目の方が倍近く多い。
そしてわかりにくい。
留年という概念がないと言ったのはじっしゅうや卒業までに必須単位をそろえたらいいということから。つまりどれを取るかは自分次第。
従って失敗したら実習に行けない場合がある。同級生数名は現在の時点で今年行けないことが確定している。そんなこともある。
ついでに言えば実習が多い。
参加観察実習(教育実習生を見るというもの 2年夏)や介護等体験実習(老人ホームなどに実習に行く 2年夏)そして教育実習(そのまんま 3年夏)がある。夏にあるということはすなわち夏休みが削られる。
あとこれは個人的なことだが…専修ごとの絆を重視しすぎる傾向がある。専修ごとの集まりはしょっちゅう。飲みも専門ごとに、とかなり狭い枠で行動していることがある。
サークルなどに入らないと他の専修と関わりがない場合が多い。
自分が教育学部で感じたことはこんなところだろうか。
しかし去年の夏ぐらいだっただろうか…参加観察実習で実習校に行った時に教師になることをやめよう、と思った。
http://diary.note.ne.jp/d/11549/20030910.html
http://diary.note.ne.jp/d/11549/20030911.html
http://diary.note.ne.jp/d/11549/20030913.html
http://diary.note.ne.jp/d/11549/20031002.html
http://diary.note.ne.jp/d/11549/20031003.html
以上が5日分の記録。詳細事項が無いのはそういう決まりだから。実習校については書けないし、生徒のことについてもだめといろいろと規制がある。それがあるけど…できるだけ書こうと思う。
まず思ったのが授業を受けていた時と授業を教える方に立つと言うことは全く別だということ。逆ではなく違う、別物。
そしてただ教えるだけではなくどう教えるか、どこを中心に言いたいかなどいろいろと考える必要性がある。それが実習の難関のひとつの指導案。
現在ではパソコンでテンプレートを使ってすることが多いが(むしろ8割方それ)残り2割は…手書き。自分は少数派の手書きらしい。体験が大事と行っていたが実際に使えないことを体験したところでそれは無駄。
パソコンで書くにしても一太郎が主流だったりする。ワードは指導案を書いたりするのに向いていないため。そして教育現場ではDOSの頃から使っている人が多いので一太郎が主流。持っていると良いかもしれない。
ただし採用試験はワード。矛盾しているが仕方ない。
話は変わってしまったが、教えてもらう方が想像通り楽だ。どう教えるかコツがわからないとどうしようもない。
自分が教師になるのを諦めたのはこの実習がきっかけ。
まず先輩たちを見ていて自分の精神状態がついていけない。体力も付いていかない。
実習は基本的にずっと立ち。腰を痛めている自分には拷問の一言。昨年の実習でも実習後腰を痛めて寝ていたほどだ。
そして大学に戻り講義を受けていくうちに自分は教師に向いていないのでは、と思うようになった。自分から学ぶ精神が必要など…自分には到底ないと思われることが必要になる。
決定的だったのはやはり実習校に行った時のこととの矛盾。現実と理想が食い違い、現実の前に自分の夢とか理想がいかに無力かを突きつけられたとき、自分には無理だと悟った。
教育は今から変革を迎える。今まで以上にいろいろと変わっていく。それは自分たちが受けた教育が不完全で、かつだめだということから。
単刀直入に言えば自分たちは「実験で出た不良品」と言える。それは教育学部に来たら嫌と言うほど言われることだ。
教師は自分の受けた教育をまねする傾向があるという。いろいろと変わっていく中で自分たちの受けた教育は否定され、今から自分で考えた教育をしないといけなくなる。
教育学部にきて自分は単位にばかり目が行き、単位が取れたらいいと考えていた。今から教育学部に行く人は教師になるという夢を持った人が多いだろう。
それは大切にして欲しい。いざ大学生になればバイトにサークルにと忙しい。そして単位を取らないと実習に行けないと焦る。今の自分のように。
ただ本当に教師になりたいのだったら教師になったときこの知識がどうやったら役立てることができるか考えて講義を受けて欲しい。
教育学部は教師を育てることが目標だろうけど、それ以上に今生まれている子供たちをちゃんと育てるための人を育成する場所でもあるはずだろう。
自分は教育学部に入るとき夢があった。書くのは恥ずかしいが、理科が好きな子供を一人でも増やしたいという無謀な夢が。それは中学の理科の先生…自分の恩師が自分にしてくれたこと。
理科は難しいものじゃなくて楽しいものだ、それを教えたいと思っていた。
現実の前に無理だと気づいたのが遅すぎた。
今教育学部にいる人でほとんどは教師になるかもしれない。一部は教師にならない道を選ぶ。
教育学部に来たから教師になる、それだけが道じゃないと思う。
自分は教育学部に来てよかったと思う。いろいろと知ることができたし。大学で道を変えても良いんじゃないかな、と思う。
コメント