ちょっと目を引いたので久しぶりに時事ニュースにコメントをしてみようと思う。

 元々の記事は
▼「プロフ始めました」中高生に広がる携帯自己紹介サイト(朝日新聞)
http://www.asahi.com/life/update/0308/009.html

利用者は自分のページに写真を掲載し、ハンドルネーム(ネット上の通称)や誕生日のほか、「好きな食べ物」「好きな芸能人」などの質問に答えることで、自己紹介文を作成できる
 というサービスらしい。
 以前はDiarynoteからHOMEで飛ばすことで自己紹介を書いていた人もいた気がする。
 なのでどういうサービスかは見たことがあったりで。

 中高生の間ではこのIDを教えて名刺代わりにしているらしい。初対面の友達とはこういうことを通じて自分のことを知ってもらおうというわけか。

 そのために自分の学校名、住所、連絡先を書く人がいるというのが一番問題だという。
 それに加えて
未成年者が「喫煙、飲酒をしている」と語る記述や、裸の写真を載せて「つきあってください」と援助交際を求める記述も少なくない。
 ということも書かれていたりするとか。
 結局問題は危機感がないことか。

 元々ネットは「誰が見ているか分からない」ことを意識しないとどうしても被害者になりやすい。少なくとも日本ではそう言える。
 それよりも先に「友達を作りたい」という興味から個人情報を書き込む。または「友達だけ見ている」と考えているのかもしれない。

 中々難しい問題なのは確か。
 記事でも書かれているのだが、こういうサービスを使っていること、もしかしたらあること自体を知らないかもしれない。
 そのため大人が対応することが難しいとのこと。いつの世も子どもの世界は大人とは別世界だったりするものだ。

 とここまで書いてみたがふと違和感が。
 記事の最初の部分にこう書いてある。
大人の目からは分かりにくい、携帯電話を介したネット利用に、教育関係者は頭を悩ませる
 この問題は教育問題なのか?
 学校に全く関係が無いとは言えないが、少なくとも学校だけでどうにか出来る問題ではないし。むしろ家庭の比重の方が大きいと思うのだが。
 ここで重要なのは子どもに知識を教えるだけではなく、大人にも知識を教える必要があることにそろそろ気づいても良い気がするのだが……

 子どもは友達を増やしたいと思う。それは関係を広げ、自分の世界を広げるためには必要なことだ。
 だが要らぬ知り合いを増やしてしまうデメリットを抱えてまでそういうことをする必要があるのか。それを改めて考えて欲しいと思った。
 いろいろと調べてみたり。
 ブログをニュースで放送しているが、当のブログはすでに削除されている訳で。
 なので調べても無駄、と書いておく。

 自分も高校時代化学が好きだった。
 と言っても毒殺とかでは無く、化学式を覚えたりとかそういうのが楽しかった。
 知らない元素などを知ることも楽しかった。
 その中で毒殺出来るものも載っていた訳だが…

 中学3年の時に購入した「元素111の新知識」という本を見てみた。
 今回使われた酢酸タリウムでは無いが酢酸タリウムのことについて出てきた。
 以前は殺鼠剤などとして使われていたが、無味無臭のため現在ではほとんど使用されていないらしい。
 薬局では今でも一部売っているらしいが、18歳以上の購入は不可。
 ついでに毒物指定されているので購入時にはサインなどが必要。
 なのに高校1年生が購入できたわけで。

 なぜか過マンガン酸カリウムなども購入していたようだ。
 …確かに実験には使用する薬品ではあるが、生活には必要の無いものだ。
 ただしブログでは「過酸化マンガンカリウム」と書いていた。
 こっちの名称はかなりマイナーなんだけどなぁ。
 やはりこういう薬品に対して興味があったんだろうな。 

 それも問題だが、それをブログとして書いていたのもなぁ…
 ブログの前はメールマガジンを配信して、最近ブログを書いていたらしい。
 多分母親が衰弱していく様子を書くために作ったブログでは無いだろう。
 タリウムを購入する前から書いていた所を見るとそう思える。

 ブログで祭りが起こるなどの記事も出てきているようで、個人のモラル自体も問題になっているのだろうな…
 こういうことを書いたらダメだとかしっかりと考えないといけないわけで。
 ニュースで取り上げられているものだけを見るとどうしても動物実験をしている印象しか持てなかった。
 しかし、実際どういうものか気になる。
 こういう文章を書く場合、書いたものの裏に何か隠れている気がしてならない。
 たとえば女性なのに男性として日記を書く。
 淡々を心情を書かないといけなかった理由。
 そういうことを考えると安易に
「こいつは人でなしだ」
 などと決めつける訳にはいかないだろう。
 …別にこの少女の肩を持っているわけでは無い。
 情報が限られている中で推測だけでものを言うのは少々軽率では無いかと思ってしまっただけ。
 ブログも閉鎖されてしまったから詳しくは分からないし…
 新聞や本であればまだ手元に残すことも出来るのだが。
 こういうところがネットの不便なところだ。

 ちなみにここで一つ注意を。
 タリウムは毒物だが、こういうためのものでは無い。
 上で挙げた元素111の新知識で、タリウムは心筋細胞の生存率の測定などに使うことの方が多い。
 その場合は致死量には全然満たない量を使用しているので安全面では問題無し。

参考書類、URL
▼元素111の新知識
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9970832964
▼朝日新聞
http://www.asahi.com/national/update/1103/TKY200511020396.html
▼タリウム殺人事件
http://gonta13.at.infoseek.co.jp/newpage367.htm

▼タリウムについて
http://www.istone.org/element/tl.html
▼過マンガン酸カリウムについて
http://www.kagakukan.sendai-c.ed.jp/yakuhin/yak/026.htm
▼毒物及び劇物指定令(30の4)
http://www.nihs.go.jp/law/dokugeki/dai2-geki.html

 情報元は朝日新聞教育ニュース。
http://www.asahi.com/edu/news/TKY200506060157.html
 情報元が消えていた場合はこちらに。
http://www.h4.dion.ne.jp/~souki/diary/050606.html

 最近はやっているというか、ずいぶん前から浸透しているブログの話。
 学校現場の状態をブログで配信していると言うのならここも同じなのだけどな。
 若干方向性は異なるのだが…

 自分の中では
「やっとこういう先生も出てきたか」
 これが本音だったりする。
 きっと忙しいとか、情報モラルがとか問題があるのだろう。
 そう考えたらまず様子を見てからというのが正しいやり方ではある。

 情報の授業はまず情報の早さが重要になる。
 教科書を使っているようではまず現在の条件に合わない。
 確実に…
 そして何より小学生ぐらいからこういう事に親しんでいる方が良いと思っている。
 ルールとかそういうものは小さい時の方が吸収が早いから。
「三つ子の魂百のまで」では無いが、こういった経験は良い経験になると思う。
 元々は児童の交流のため、と始めたこの計画。
 意外と成功しているように見える。

 だが、やっぱり問題は多いだろう。
松本先生は「当初はおかしなコメントが来るのを心配したが、今のところ被害はない。そうしたコメントが来たときには、子どもに対応方法を教えたい」。
 こうおっしゃっているがそういう可能性も否定はできない。
 この記事を機会に何かあるかもしれない。
 だけど、消極的な態度よりこういった積極的な態度には好感が持てる。
 多分実際体験しているからだろう。

 この記事の後に愛知の例が出ている。
 校内からしか見る事ができないページを作っているとのこと。
 確かに何か問題があってからでは遅いし、子どもを護る事が教師の責任と言える。
市教委の担当者は「学校の情報発信はホームページで可能だ。ブログが必要だと思わない」と話す
 ただし、この意見には反対だ。
 情報の「発信」は確かにできる。だけど何のために?
 学校の事をもっと知ってもらいたいというのは分かる。
 だけど、それだけじゃないか。
 単なる趣味のページだったら自己満足で結構。
 この場合は問題が全く違うだろ。

 この下にはある校長先生の意見があった。
学校現場の実態や校長の思いを校外にも広く伝える必要があると考えて、ブログを作った。自分の気づかなかった視点のコメントもあり、児童から相談が来たときに参考にしたい
 情報の発信は確かにホームページだけで十分なのだ。
 だけど本当に必要なのは「交流」の方ではないかと思う。

 先生や業者が作ったホームページを生徒が見て何を学ぶのだろうか。
 タグでも見てHTMLの勉強?
 それだったら家でもできる。

 クラスでこういったブログを作るというのは「インターネット上のコミュニケーション」を学ぶ格好の材料ではないだろうか。
 HTMLなど難しい知識もいらない。
 手軽に始める事ができる。
 そして、更新も手軽。
 コメントを求める為に掲示板を設置したりという手間も要らない。
 大人だけでは無く小学生たちに向いている素材ではないか。

 最初に言ったようにやはり悪質な書き込み、広告などには注意が必要だ。
 それをただ教師が黙って消して子どもに知られないようにするのはちょっとご遠慮願いたいな。
 やはりそれを授業では無くても子どもの経験として蓄積させて欲しい。
 温室育ちでは無く、現実にどういう事があるのか知ってそしてクラスでは無く今度は個人でブログなどをして欲しいものである。

 きっとここの子どもさん方は良い体験をさせてもらえていると思う。
 禁止禁止言われている人よりよっぽど良い環境だろうな。

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 堅苦しい意見はここまでで。
 実際にブログを見てみた印象でも。

 小学生はやっぱり元気が良くて、いろんな事に興味があるようだ。
 クラスごとのブログではクラス全員で交代しながら書いているようだ。
 仲が良いな。

 個人的にの注目は「米ブログ」と「野菜ブログ」。
 今まで米の生長を記したブログなんて見た事が無い!
 都城では通学路に田んぼがあったのでそこで良く見ていたものだ。

 毎日更新しているようなので毎日読んでみようかな。
ブログランキング参加中(学生日記編)
http://blog.with2.net/link.php/35597
まぁ毎日良く書くよ…と思った方クリックお願いします。

http://www.nikkansports.com/ns/general/f-so-tp0-050419-0016.html

 まぁ今の時期にこういう事を書くのもどうかと思うけど…
 特ダネで放送していたのでレビューでも書いてみる。
 その前に。
 自分は別に教師という仕事をしている訳でも無いのでその点だけ書いておく事にする。
 教諭は県内の大学を今春卒業、小学校教員として県に採用され同校に赴任したばかりで、同日は授業参観日だった。同校の須田次枝教頭は「声が大きくはつらつとした好青年で、子供とも明るく接しており、悩んでいる様子はなかった」と話している。遺書は見つかっていないという。
 新任教師の自殺…か。
 今の時期それこそ大変だろうなと思う訳で。
 何が大変かは教師になろうとしている人やなった人で無いと分からないと思う。
 教師になるというのは正直大変なものだ。

 大学の受験。
 大学での勉強。
 教育実習。
 教員採用試験。
 初任者研究(新任1年間は受ける義務がある)。

 簡単に挙げてそれだけの事がある。
 ついでに初任者研究で向いていないと判断されればそこで別の道を探さないといけない。
 つまり最初の1年間は「お試し期間」というものだ。

 あと、自分として気になったのは教頭の言葉。
 当たり前だけどこんなところで
「うちの教師は根暗でした」
 なんて言えるはずがない。
 そういう事を認めたら教育委員会を否定することにもなるし、学校の評判も落ちる。
 それにそういう人じゃないとできる仕事じゃないんだからな。

 根は真面目だってのではないだろうか。
 明るいというのももしかしたら相当無理をしていたのかもしれない。
 教師が元気なかったらいけない、とか考えていたんだとしたら相当負担だっただろうに。
 教育実習の時の自分みたいだ。
『生徒の前では嘘を付いてでも元気振る舞え』
 んなものじゃないのだろうか。

 自分から見て、この人相当悩んでいたんだろうなと思う。
 TVなどでは「衝動的」とか言われているが、多分2週間ずっと悩んでいたんだと思う。
 授業参観という行事があり、そこで自分より年上の親から授業を見られる。
 それは考えただけでも相当のストレスになるだろうし、その事を相談する人もまだいなかったのではないだろうか。

 あと6時過ぎに学校に行っていたらしい。
 …早すぎると思うが、寝付けなかったとか。
 または「不安、緊張のあまり早起きしてしまった」とか。
 当の本人に聞く事ができないので推測にってしまうが、そういう事もあったのではないだろうか。
 授業の準備をしようとしたのかもしれないしな。

 TVなどではさらっと放送しただけだし、新聞でも別に取り上げられている様子でも無い。
 教育学部の学生でこういう記事を見ている人はどれぐらいいるのだろうか。
 自分も寝ていたらこの記事には気づかなかったわけだが。

 こういう事があると改めて
「教師になる事ができるのか」
「教師になってもこの二の舞ではなかろうか」
 とか思う訳で…

〓〓〓〓〓〓〓〓後日追加〓〓〓〓〓〓〓〓
 警察庁のサイトに自殺者の職業などの統計があったので紹介。
http://www.npa.go.jp/toukei/
 教員の自殺者は年間74人(平成15年統計)。
 自殺者全体の約0.21%にあたる。
 これが多いか少ないかは分からない。
 全国の教員は大体100万人いると言われている。

 ちなみに生徒はと言うと年齢が高くなるにつれて数が増加している。
 これもある意味問題があると思うのだけど。

 この記事について書いてから結構「教師 自殺」などの検索で来た人が多かった。
 それだけ興味がある話題だったのだろう。
 自分のこんな稚拙な文章で申し訳ない。

 それにつられて自分もいろいろと見ていたのだけど、やはりいろいろと意見があるのが分かった。
「自殺するのは精神的に弱い」
「こういう奴は教師になるべきでは無かった」
「教育委員会の面接などは人間性を見抜くことは出来ない」
「たった2週間で教師の人間性が分かった校長はすごい」
「生徒の事を考えなかったのか」

 本当にいろいろな意見があった。
 やはり現実味があったのは教師と思われる人の意見だったりした。
 自分はただ「教育実習に行っただけ」だったわけだし。
 教師の卵でもないや。

 ところで教育実習について。
「教育実習はお客さんだから教師になりたいと思う人が多い。
 だけど現実はそんなに甘くない」
 そんな意見もあった。
 …教育実習ってそんなに楽しいものなのか。
 地獄だったぞ。

 そういうところに行ったから教師になろうとか思ったんだろうな。
 現実とのギャップはどこにでもあるところだけど。
 この教師がイメージしていた学校とはどういうところだったのだろうか…
 楽しみにしていたんだろうな。

 あとここからは自分の事。
 自分が教師になりたくないと思ったのは何点かある。

・人の上に立てるほどの人格の持ち主では無い
 これは本当に思う。
「教師は生徒の見本でないといけない」
 と言われた時点であきらめた。

・教師同士の関係がやばいと思った
 教育実習で教師同士の関わりを見ていてやっていけないと思った。
 陰でこそこそと愚痴を言っていたり(これは許せた)、何か分からないが仲間はずれにしているような雰囲気があったり…
 そういうところは敏感なんだよ、自分。
 短大を卒業した友人などに聞いたりするとなかなかおもしろい事も聞けたりとかな。
 教育学部にいてもたまに思うのだけど、どうも同じ教科とか学年とかで枠を作ってつるむのが好きなようだ。
 自分も含めて。
 そんな固まってもなぁ…

 あと、ここは教育学部生として言いたいことがある。
「子どもが大好き」
 で教師になろうとしている人がいるんだったら…
 とっととあきらめろ。
 生徒との関わりは良いといて周りとの関わりが恐ろしいことになるかもしれないから。
 教育実習生が授業をしていると生徒が親にしたらしいのだが
『勉強が遅れたらどうするんですか!』
 と学校に電話をかけてくる親もいるぐらいだから。
(その電話が来たとき自分は指導案の指導を受けていたり…しかも次はそのクラスの授業)
 子どものためだったら死ねるぐらいの気力があるんだったら教師になって欲しいと思う。

・周りの目
 教師は「教室の王様」とか言われるが…教室だけ。
 教室から出たら同僚の目。
 学校から出たら地域の目。
 授業参観では親の目。
 聖職者と言われるだけあっていろいろなところから見られている。
 どうもそういうのが嫌だったし…
 そこまで期待に応える事ができる人では無いので。

 そんな事が気にかかっているので踏み切れないでいる。
 どの職業もいろいろと問題はあるのだろうけど、自分は教育関係しか分からないので。
 他の職種の事が知りたいんだった他のところを回ってください。
 初めてトラックバックというものを使ってみる事にしたが…至って普通の日記じゃないか、これ。
 横にトラックバック情報が出るぐらいで…

 で、本題。
 柳氏の意見には自分は基本的に賛成。
 端的に言えば「周りが何か変えていかないとその人は変わらない」という考えが自分の基本的な考え方。

 社会的に不適合だから引きこもり、無職でいたいと望む人が出てくるという考えからしたら、悲しいことだがこの世界が駄目ということではないか?
 不適合の人たちがたくさん出てきていることは社会が少しずつ別の方向にシフトしてしまっているからだろう。

 たとえば引きこもり。
 彼らは本当に
『外に出たくない』
『誰にも会いたくない』
 なんて考えているだろうか。不登校も同じく
『学校なんて断固としていくものか』
 などと思っているだろうか。
 思っていると思っている人がいたとすればどうしてそう言えるのか。
 それなりの理由があるはずだ、彼らには。
 そんな人ほとんどいないだろう。どうにかして出たい、学校に行きたいと道を模索しているはずだ。柳氏も書いているように第一歩を踏み出すことができないから…
 踏み出すことが出来ればそれから抜ける事が出来るはずだ。

 個人的な事だが、自分は中学時代忘れたくないと思い続けている事がいくつかある。数少ない思い出であり、中学生のときの自分の大切な記憶でもある(学内での事、友人との事は一部を除いて思い出すどころか記憶から消えてしまっている)
 1つは部活で強豪チームのキャプテンに勝てたこと。これはうれしかった。
 そして、学校に行けない自分に道を作ってくれた友人のこと。
 彼には未だにお世話になってばかりいるのでいつか礼をしたいとは考えているのだがきっかけがない。
 一時期自分は学校に行くことが出来なかった。原因は憶えていない。
 言えに数日いたままで学校に行くことがなかった。行きたいと思っていたのは確かだ。だから分からないことも無いのだ、不登校の人たちの事は。
 そこに学校に来てくれとその友人は言ってくれた。弁論大会で暮らす代表として発表するから聴きに来て欲しい、と。
 そりゃ聴きに行くだろ、当然。

 変わったのは社会とかそんな大きいものじゃなかった。彼が弁論大会で発表するということ、それだけが変化だったはずだ。
 それだけでも踏み出せるものだった。

 力ずくで引きずり出して、叱咤激励して何をしたい。
 そういう人をする事が出来る人だからこそ、とどまることしか出来ない人ことは理解できない、いや、理解しない。
 かわいそうだから何もしないでおこうという人は知ろうともしていない。見下してそれで良いことをしたと満足げになっているのだろう。

 留まることしかできない人は、その中で本当に自責の念に駆られているに違いない。
 自分の存在すら嫌になることだってあるはずだ。
 何かするにしてもそれが怖くて、何か言われるんじゃないかと不安でたまらず、自分の心すら砕かれる思いで生活しているのではないだろうか。
 単なるちょさっとした事でも壁のように思え、上っても結局戻る事も出来ず、疲れ果ててその場にへたり込む。

 彼らは彼らなりに戦っていることぐらい認めても良いのでは?
 人から見てがんばっているように見えなくても、がんばっているのはずだ。
 がんばるなんて簡単な言葉じゃない事だってあるはずだ。人が簡単にできる事でもその人にはつらいことだって山ほどある。
 努力をして、それが認められないことほど惨めで、自分の存在が嫌になることはない。結局最後までそれが認められないことは余計に。

 自分は社会適合性が高いとはとうてい言えない。
 だけど、どうにかして大学で勉強もしている。それはひとえに家族・友人たちに支えられているから。
 留まっている人たちも、一人でいい。誰でもいいから頼れる人を作って欲しい。現実で無くても良い。ネットでもかまわない。
 もしかしたその人がいるところで何かが変わり、それで自分が変わることだってあるはずだ。

 最後に柳氏は
こう言うと人によっては「じゃぁ具体的に何をしろって言うんだ?」「お前何を甘っちょろい事言ってんだ?」と言われるかもしれないが、だが俺はこの持論を変えるつもりは無いし、甘い奴だと思われてもいい。それに早急に具体案を出して解決出来る話でもない。

 と締めくくっているが、そういうことをこうやって表に出すだけでも効果はあるのではないだろうか。
 12日午前6時過ぎ、埼玉県皆野町皆野、美の山公園観光道路脇の駐車場で、ワゴン車の車内から男性4人と女性3人の遺体が見つかった。目立った外傷がなく、車内に数通の遺書があり、練炭四つが置かれていたことなどから、集団自殺とみて調べている。

 県警秩父署によると7人のうち4人は、さいたま市の主婦(33)と埼玉県所沢市の無職男性(20)、佐賀市の無職女性(20)、青森県の男子大学生(20)と判明。残る遺体の身元を調べている。


 さて、最近TVでも話題になっているが集団自殺の事について。
 時事ニュースを取り上げるのは本当に久しぶりなのと、未だに詳細がはっきりしていないので控えめに。

 ニュースや新聞ではネットの自殺願望のある人が集まる掲示板で知り合った人たちが集団自殺したと報道されている。本当かどうか分からないが、恐らく集団自殺をしようという話になったのはネットでだろう。佐賀から来た人もいたらしいので。
 こういう事件が起こるたびに
「インターネットというものは恐ろしいものだ」
「こういうのは無くすべきだ」
 などの意見が聞かれる。ここを見ている人の多くはこういう考えで無いかもしれない。または少しはそう思っているかもしれない。

 集団心理とは怖いもので、傍観効果(誰かがするだろうと考え誰も行動しない)も集団心理と言える。身近な行動の中にもそういったものは存在する。
 周りに流されるというのもその1つに挙げられるだろう。今回はそれが死と直結してしまったわけだ。7人集まってから気が変わってもそれを言い出す事はできなかったのだろう。みんなそう思っていたとしても、中止は無かったのだろう。
 一人だったら大丈夫だったのかもしれない。そう思うとネットよりも集団心理の方が怖くないだろうか。その集団心理を引き起こす引き金はネットだとしても結局死に導いたのは集団心理という人間の心だと自分は思う。

 ネット場悪者扱いされるのはもう慣れてきた。自分の親はネットをすることを悪いとは言わず、方法さえ間違うなとだけ言う。良き理解者でもあるし、ネットのおかげで家族と会話をしていることもあるのだろう。こういう家庭で成長している自分なのでネットが無くなると非常に困るわけだ。

 別に情報を専門にしている身では無いのでどうこう言える話でもないし、心理学もかじった程度。
 だけど言える事は
「インターネットは1つの情報伝達の手段にすぎない」
 それだけは言える。

 この前の事件と一緒だ。包丁で殺人が起こったらだったら包丁を作った人が悪いのか。もちろん使った人が悪いのだろう。包丁で自殺をしたら包丁を売った人が悪いのか?売った人はきっとそう言った使い方をすると知っていたら売らなかっただろう。
 規模は違うがそういうものだと思っている。

 別に死のうと思うのは勝手だが、そんな死ぬ勇気があるんだったら生きろ。実習中自分だって死んだら楽になるのかとかそういうことを何度も思った。そんなことでと思われる事でも死にたくなる事だってある。
 だから無様だけど自分を痛めつける事でしか自分を慰めることができなかった。一人だったから…

 集団心理で死のうと思うんだったらどうして助け合って生きようとか思わないんだ。死ぬ事に手を貸してくれる人がいるんだったら生きる事を手助けしてくれる人がいることにどうして気づかない。
 死にたいとか本気で思っている人はいないはずだ。
 どうしようもないから死ぬしかないという結論に達したに違いない。

 ネットを無くしたらきっとこういった集団自殺は減るのかもしれない。けど、その裏で一人悩んでいた所にネットで知り合った人たちが手をさしのべてくれて助かった人もいるのではないだろうか。
 集団自殺は減っても一人で苦しんだあげく自殺する人はどうなるんだろう。

 今自殺とか考えている人がいたら言いたい事がある。
 死ぬぐらいだったら生きてもがき苦しめ。今悩んでいる事があってもそれはそのうち笑える事になるはず。何か絶対に方法があるはずだから自分で自分を殺す事だけは本当に止めて欲しい…
 死にたくなくて死んでしまった人の事を考えてみろ。まだやりたい事がたくさんあったのに何もできなくなってしまった人の事を考えてみろ。自分で死のうとか考えられる事だけまだ恵まれているんだからさ。

 ネットで自殺しようとする人が集まる事ができるんだったら逆のことはできないのだろうか、とニュースを見つつ考えてしまった。できると信じたいところだ。
 おもしろいのがあったりして結構好きな機能ではあるんだけど、それが嫌な事にもつながるのがなぁと思う今日この頃。

 たまにこっちが意図しないキーワードで来られているのを見ると
「申し訳ないなぁ」
 って感じになったりして。特に恋愛関係で
「失恋 立ち直れない」
 とかで来たときには…かける言葉も無かったり。それに自分も事実立ち直っているとは言えない状況だったりして。

 そんな感じて楽しい時は楽しいのだが、不安になる時も。
 今日は
「鉄は砕かれるが運命」
 で何度も検索をかけられていたり。もう10回以上これで来られているとどうしてこれで検索して来ているのか心配でたまらない。しかも自分が検索すると決まって自分の日記は出てこない。
 あ〜新手の心理攻撃?
 そんなことないと思うのだが。

 変なキーワードで来ていたりして凹むこともあるし、全然関係ないから来ても情報なんてないですよ〜的な事を言いたいことも度々。
 見なかったら見なかったで別に気にすることもないんだろうけどな。以前の形式の時はこういう機能無かったわけだし。それでも書いていたわけだから絶対必要って機能ではない。

 ただ、自分が許せ無いのは検索ワードを逆に使って、意見ができないからと言って心理攻撃する輩がいたりすること。そういうことができるだけないように言葉には気をつかっているつもりなのだが。

 ネットで自分の事を書くのは根性がいると自分は思うんだけどどうだろうか?
 私生活を書けば自分の身分がばれる事も覚悟しないといけない。何か批判的な事を書けばそれに対して叩かれる事を覚悟しないといけない。褒めたとしても反対意見の人は同じ数ほどいる訳でやはり反対意見を覚悟しないといけない。
 万人に好かれることは不可能だという事実をたたきつけられる世界でもあるんだろうから。
 きっと、匿名性とかいろいろと言っていても完璧な匿名性の世界なんて存在しないはず。自分が分かるようになっているんだろうから。

 もし匿名性が守られていても…たぶん自分に嘘は突き通せないだろうな。

 アクセス元表示を見ていると自分の日記がいろんな人に公開されている事実を実感する。そして、それぞれの人が自分の求める情報を探って検索エンジンを使ったりしている事も。

 読んでいるだけの人は分からないかもしれないが、こうやって気軽に書けるものを書くのには相当根性がいるわけだ。
 やってみた人にしか分からない苦労がある。何でもそうだけど、実際にしてみないと分からない苦労だってあるわけだ。

 検索して、それを利用するのはかまわないと思う。それでいいと思っているし。
 けど、それと同時に忘れてはいけないこと。
「その使っている情報は誰かが手に入れて、キーを打って、何らかの意図を込めて発信している」
 その事を忘れないようにしないといけない。
 そしてその情報が正しいという根拠はどこにもない事も。

 難しい事を言っているかもしれないけど結局は画面を見て、キーを叩いていても、その向こうには誰かがいること。

 手紙書いて、ポストに入れて、相手に届くのを考えつつ…待つ。
 メールを打って、送信して、相手に届くのを考えつつ…待つ。
 
 壇上で意見を放ち、スピーカーで拡張して人々に伝える。
 サイト上で意見を記し、ネットで公表して、人々に伝える。

 伝達の途中が現実か仮想かの違いであっても向こうに人がいる事を忘れたらいけない。
 読んでいる文章の向こうにはきっと誰かがいるんだと。アクセス元の向こうには誰かいるんだと。

 それを考えているだけで、ちょっとは優しくなることができるんじゃないだろうか。
■小6女児、同級生女児に切られ死亡 長崎・佐世保
http://www.asahi.com/national/update/0601/022.html
■小6女児、校内で同級女児に首切られ死亡…佐世保
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20040601it07.htm
■小6女児、学校内で同級生に首切られ死亡
http://www.nikkansports.com/ns/general/f-so-tp0-040601-0028.html
■ネット書き込みでトラブル、殺すつもりだった
http://www.zakzak.co.jp/top/2004_06/t2004060201.html
■女児を家裁送致、少年鑑別所に収容 長崎の小6死亡事件
http://www.asahi.com/national/update/0602/015.html

○佐世保のこと
○責任

〓〓〓〓〓〓〓〓2007〓〓〓〓〓〓〓〓
 今日はナディアがある事をすっかり忘れていた。誕生日が一緒だったのに申し訳ない。

 リモコンのボタンを押したところ…総合の方を押してしまった。佐世保の事をしていた。そしてちょうどチャットの話題だった。
 今日友人と話していたのだがこのちゃっとはたぶんメッセンジャーだろう。想像に過ぎないがプライベートでチャットをするというのはなぁ、と。
 チャットもメッセもほとんど変わらないと言われるだろうから。入室のパスワードでも使っておけばそれこそチャットで合っているだろう。

 まぁそれはいいとして。
 そこでいろいろと述べられていた。記憶に残っている部分が少ないので詳しく書くことは出来ないが、感情が抑えられなくなる
と言っていた。
 確かに文字だと意識する部分に集中してしまう事はある。それがずっと残っていることもある。自分でもそういう事があるからよく分かる。
 そういう問題点を挙げて…次の話題に進んだ。

 ちょっと待って欲しい。
 それだけ?問題点だけ?いいところは絶対に紹介しないのだろうか。この話題で必要だったのはそれだけだったのか。
 …昨日T先生が言っていた意味が分かった。こういうことか…情報が自由に入ると言いつつも情報規制されている実状。この番組だけ見たら親はきっと子どもがチャットをしていないかと思うだろう。そしてうちの子もまさか、と思っているかもしれない。
 いいところだってあるのに…自分なんていろんな人と知り合えて部屋にいても人とつながっている事が出来る。これがどれだけ心強いことか。
 メッセでも家族がつないでいると分かるだけで安心する。

 チャットが悪いわけじゃない。
 それは凶器がカッターであったように社会的に役に立つものでもある。きっかけになったチャットは問題視され、カッターは問題視されないのか。
 別にWinnyの事を言っているわけではない。あれは別問題だ。

 ものは使いよう…自分はそう思っている。包丁だって人を頃かことも出来るがおいしい料理を作ることが出来る。パソコンもクラッキングに使う人もいれば有用なフリーソフトを供給してくれる場合もある。カッターもプラモを作る時に使えるが今回の様に人を殺すことだって出来る。

 今の子どもは小刀やカッターで鉛筆が削れないと聞いたことがある。本当かどうかは分からないが、親は刃物が危ないと避けているのだろう。
 自分は小学生の頃父さんがプラモを作っているところを見てカッターを使い何度も指を切った。学習能力がない。今でもよく指を切っては痛い思いをしている。
 じいちゃんに鉛筆の削り方も習った。言われたのは
『刃物は人の役に立つためにある』

 道具はその人次第だろうと思う。ものの安全性などもあるだろうがその前に人の方が成長しないと。

 以前八百万の神の話をしたと思う。
 カッターなどに神がやどっているとしたら…その神は何を望んでいるのだろう。

〓〓〓〓〓〓〓〓2124〓〓〓〓〓〓〓〓
 マイク端子にラジオを直結して聞いている。スピーカーから聞こえるので結構便利だったり。

■小学生に広がる「チャット」 ルール教える学校も
http://www.asahi.com/national/update/0602/027.html

 自分は情報免許を取ろうとしてして、結構いろいろと勉強してきたつもりだ。ネットワークプログラミングではJavaScriptなどもしているし、情報メディア論ではPPを使ったり。
 まだ情報教諭の制度が出来てから日が浅いのが事実。大体理科や技術の先生たちが担当していた。今でもそれが多いのではないだろうか。

 情報技術などは工学部でも勉強が出来るが、情報教育は教育学部の責務だと思っている。教育現場でパソコンなどを使う事は特別な事ではなくなってきている。記事中でもあるように公立学校ではほぼ100%の普及率。
 どの学校に行ってもあるわけだ。

 学校だけでない。家庭でもインターネットの接続などは一般的になっている。都市部になればほとんどの家庭にあるのだろう。鹿児島は全国でも最低の普及率なのでこれ以上だと想像が付く。

 学校だけでルールを守っていたらいいと思う子どもがいても不思議ではない。子どもは先生たちに怒られないようにしているのだから…家だと学校とは違うのだろうな、きっと。
 それでいいの?

 今までは掲示板などの流れの中で学べば良かった。
 今は
『自分で調べろ』
『ググれ』
 などと言われるのが多いな。
『そんな事も知らないのか』
 とも…

 親切に教える事は少ないのだろうか。自分の考えがおかしいのだろうか。時代遅れ?
 分からないことが合ったら自分で調べて、それで分からなかったら教えてもらうのは確かに理にかなっている。けど、最初は調べ方だって分からないんじゃないのか?
 聞かれたら対応してあげようよ、出来るかぎり。あからさまだってらそれは怒るべきだけど。

 小学生だとまだ精神的に幼い。かざとさん(*)のところで書かれていたが
『同じ土俵で勝負してはいけない』
 その通りだ。同じ目線に下がることで見える事だってある。そして小学生だったら今からまだ特産学ぶことだってあるだろう。自分たちの何倍ものスピードで覚えていくはずだ。

 専門知識を追い求めている自分がいる。けど自分も初心者だった。いろいろあって今の様にちょっとはいろいろな事を覚えた。それもこれもいろいろな人が教えてくれたから。
 学校で学んだ事はほとんどなかった。
 掲示板などに書き込んで、いろいろなところを回って覚えてきたことだし、自分が体験してきたことだってある。その事を覚えておかないと。

 だからといって自分たちに責任はないとは言えないはずだ。学校で教える事が出来ることは教える。それは学校だけではなく、家に帰っても一緒という事を教えないといけない。

 昨日の授業でメールの話が出ていた事を思いだした。考えたら予想していたかの様なタイミング…
 とある大学に附属中学校からメールが来たらしい。バカなどと書いたメールが。大学からはもちろんどうにかしろとメールが来たらしい。
 当たり前だよな。
 出したのは生徒だった。たぶん悪気は無かったのだろう。おもしろかったから、偶然そうなったからかもしれない。しかし向こう側に人がいるとは思っていなかったらしい。
 それから附属ではそういう事も教えているという。

 こういうことも教えないといけないな、きっと。
 教科書で教えていればいいというのは終わったのかもしれない。情報なんて日進月歩だし、教科書は絶対に追いつかない。自分たちで毎日勉強しないと。

 ネットの弊害で挙げられた症状にジャストミートだった自分だが、だから分かる事もあるんじゃないかな、と。

 話がだんだんそれてしまったが、教える事が出来る事は教えないといけない。そこのところもうちょっと勉強したいものだ。
  カタールのアラビア語衛星テレビ局アルジャジーラによると、8日、「サラヤ・ムジャヒディン」と名乗るグループが同局に、日本人男性2人、女性1人を誘拐したとして3人を撮影したビデオテープを送ってきた。同グループはイスラム過激派と見られ、自衛隊のイラクからの撤退を要求しているという。外務省はフリージャーナリストら3人がイラク国内で誘拐されたとみて情報収集を急いでいる。


 さて、9時にこのニュースが出できたばかりで詳細が今のところ分からないが…一応現在の状態で自分の意見を書きたいと思う。

 今NHKを見ているところだがずっとこのニュースだけ。っと今ニュースが変わった(21:49)けどそれまでずっと同じ話題だったのだからすごいことだ。
 アメリカ人が惨殺された時は大して報道をしなかったのに、と思う自分は不謹慎だろうか。

 所で今回人質にされたのは18歳の高校を卒業したばかりの人に、フリーのカメラマン、そして人道支援をしていた女性。何とも皮肉なことだ。自衛隊派遣について反対の立場を取っていた人たちが人質になっている。
 
 日本はどうするだろうか…
 米国はどうするだろうか…

 そこが今の焦点だな。
 まず日本が見殺しにすることはまずないだろう。そうすれば自衛隊派遣に対して反対意見が爆発的に増える。また見殺しにしたという意見が広がれば自民党の地位は失墜し政権交代は確実なものになる。
 ただそのまま黙って後退すれば今度は何のために行ったのか、と問いつめられる。国民がこのことに興味を持っていればスペインと同じように政権交代もあり得ない話ではない。
 それに加え後退したからと言って3人の安全が確定することはない。解放されるとしても今のイラクに解放される方がある意味危険な可能性もある。

 2つの選択肢があると言っていたが自分は3つ目があると考えている。
 それは…米軍による攻撃。
 空爆まではいかないにしろ突撃の可能性も考えられる。それで救い出せれば日米の友好関係はいままで以上に強固なものになる。ただし失敗したときには米軍の地位も失墜し、何のために日本が米軍に協力したのか、という話にもなる。
 なぜ日本ではないか。
 単純な話だが自衛隊はそこまでしないという個人的な考え。確かにそれ相当の訓練は受けているが自衛隊がそこまでしていいのかと考えるはずだ。

 何よりもまずは人質の救出が最優先だろう。
 内閣は今かなり必死になっているだろうな。奥大使などの事がある。今度は民間人だから余計見殺しにすることはできない。

 見殺し。
 後退。
 突入。

 どの選択肢を選ぶか。
 どの選択肢にしても3人が無事に助かる事を祈りたい。
 アイルランド政府は29日から、あらゆる仕事場で喫煙を全面的に禁止する。飲食店からもたばこを締め出す試みは欧州で初めて。パブ経営者や愛煙家は反発しているものの、ノルウェーが6月に全国一律の禁煙導入を予定するなど、欧州で追随する動きが出ている。

 企業を含む屋内の公共スペースが対象。実質的に、戸外や自宅以外ではたばこを吸えなくなる。違反者には、最高で3000ユーロ(約40万円)の罰金が科せられる。


 なんだかすごい展開だが…屋内での喫煙が全面的に禁止とは。アイルランドと言えばパブでビールを飲むのが有名だそうで。なるほど、だからパブの経営者達が嫌がっているということか。

 さて、自分はこういうことを日本もさっさとやって欲しいと思う。屋内前面禁煙としなくてもいいからせめて学校などの教育機関、駅などの公的機関の禁煙は徹底化して欲しいと思う。今のところ、中央駅・ジャスコは屋内で禁煙を実施している。
 大学は…相変わらず歩きたばこが日常茶飯事だし…どうだろうか。

 で、ちょっと調べて見たのだがたばこ税の国家収入は幅があるが8000億円から9000億円ぐらいらしい。大体国家収入の1%から2%を担っているとか。結構大きい。消費税が12%ということだからな。
 しかしこの利益…肺ガンなどにかかる医療費と対比させたら確実に赤字だな。医療費は兆単位だし。結局国も苦しくなるばかりなのに何をしているんだか。
 まぁたばこの生産農家などのことを考えたら一概に「禁煙にしろ」とは言えないのだが…

 話は戻って。
 アイルランドがこういうことに踏み切った理由には医療費の問題もあった様子。副流煙での発ガン性を考慮するとこういう公共施設の禁煙は効果があると考えたらしい。
 …自分はたばこ吸わないのに肺ガンになったらそれが原因だろうな。

 愛煙家の方々は自分の給料の何割が国のために消えているか考えたらいいかも。そしてそれに伴って自分の寿命がどれだけ縮んでいるか…

 さて、1週間で2箱セブンスターを吸っていると仮定すると…
270*2=540円
 1年365日なので大体52週。1年で
540*52=28080円(2万8000円)
 あら、結構たいしたことがないかも。1月当たり2340円だもんな。
 けどその63.2%が税金…なんと国に貢献していることか。自分の寿命をすり減らしてまで税金を払っている方々に感謝しなくては。
 人気番組「8時だヨ! 全員集合」でテレビのお笑いを席巻した「ザ・ドリフターズ」のリーダー、コメディアンで俳優のいかりや長介(いかりや・ちょうすけ、本名碇矢長一=いかりや・ちょういち)さんが20日午後3時30分、死去した。72歳だった。


 ニュースなどでも語られている通り長介さんが亡くなった。今朝ネットをしてYahooニュースを開いたらトップで出ているではないか…

 なんとも惜しい人を亡くしたと思う。踊る大捜査線では和久さんがいいキャラを出していた。ドリフを見たも事がない世代だが、長介さんの活躍はドラマなどでもよく目にしていた。

 なんとも言い難い…
 昨日のニュースでも書いたが人はいつか死んでしまう。人間だけではなく生き物は全て。そういいつつも納得できるものではない。

 ご冥福をお祈りします。
 小泉首相は15日夜、アテネ五輪の女子マラソン日本代表から高橋尚子選手が漏れたことについて「意外でしたね。勝負の世界は厳しいですね。残念だ」と述べた。首相官邸で記者団に答えた。

 首相はマラソンの代表枠が男女3人ずつとなっていることについて、「もう1人ぐらい何とか増やせないのかねえ。もう3人と決まってるんですか? 融通きかないの? 残念だなあ」と繰り返した。


 一言言ってしまうと…
「お前バカだろ」
 う〜ん、こういう言葉は嫌いだがそれしか言葉が見つからなかった。大体ねぇ…そりゃないだろ。
 高橋選手が代表に選ばれなかったのは確かに残念だったけど。選考委員会の選び方がよく分からないのも問題だろうがそれは仕方ないだろう。
 レースの記録順に並べたと言えばそうだろう。だったら何を重視するんだ?今までの実績?高橋選手は実績だけだったらダントツだ。しかし去年から考えたら実績はない。レース自体にも出てはいない。選考レースを重視するとしたら今度は出ていない人はどうなるのか。
 同じコースを同じ気象条件で皆で競ったらそれは選考が早いだろうけど。そもそも複数のレースで判断するのが難しいのだろう。
 たとえて言うなら進研模試と全統模試の結果を比べてどちらが優秀か、と考えるようなもの。そう考えたらかなり難しくないか、判断するのは。

 いろいろと問題はあるだろう。アテネでは高橋選手は出ないが土佐選手達が健闘してくれると思っている。

 まぁそんなことよりこの首相はさっさと辞めさせた方がいいんじゃないのか?どうせ一人枠を増やしたところで高橋選手を補欠にするは忍びないと言っている選考会のことだから選手には言わないだろうな。
 なんかこの首相全く訳が分からない事を言っている気がしてならないし。何で首相にマラソンの事をインタビューしたんだ、そもそも。
 もしかしたら日本自体が危なくないか?

 そのうち自民党の人数が減りそうになったら選挙方式をまた変えそうで怖いな、こういう発言を聞くと。それになんの疑問を抱かなくなりつつある人が多くなっているのだろう…
 さて、もうニュースなどではひっきりなしに放送されていること。

 7年前、もうそんなに経つのかと思う。それと同時にそういう事件があったな、とずいぶん昔のことのように思えることだ。
 当時自分は中学2年生だったと覚えている。自分が学校に行きたくなかった時期だったはずだから。教室にいる記憶が抜けている時期。
 そう、あの時のA少年(加害者を便宜上そう呼ぶとする酒鬼薔薇聖斗では長すぎるので)と同じ年代だった。
 今でも覚えている「15歳の凶行」と言われて自分達の年代が問題視されたものだ。そんな自分達の年代…

 あれからいろいろと変わった。
 少年法は改正され、教育も見直されることとなった。何よりも…世間の目が変わったのかもしれない。そういえば自分が中学生の時は大人が自分達を避けていた。
 小学生に近づけば親から
「あんたもうとの子を殺そうとするんでしょ」
 とか言われたこともあったっけ…うちの中学の評判は悪かったからな。

 さて、回想はもういいか。

 自分の意見としては…7年で大丈夫なのか正直不安だ。大丈夫だとか言ってもあんな事をした人が本当に大丈夫なのか。そしてAが社会復帰ができるのか。
 7年…長い年月かもしれないし、短い年月かもしれない。人が変わるのに十分な期間なのだろうか。自分も変わったのかもしれない。

 必要だったのは愛情だった。
 ニュースなどではそう言われていた。愛情が不足していたかられこういう事件につながったということらしい。
 教官や精神科医が家族の役割をして愛情を表したらしい。それはどういうものなのか自分には想像もつかない。
 だとしたら…上で書いた少年法・教育改正の意味はあるのか。

 あの事件が見直させたのはそんな規則だけではないと思う。なのにそれだけがクローズアップされてはいないだろうか。
 今の家族関係は7年前と比べてどうなった?あの事件から家族関係が親密になったと言えるか?児童虐待が増えているのに…
 考えたら自分達と同じ年代の人が親になっているんだ。自分に浮いた話は全然無いが世の中には子供を産んでいる人も少なくはない。
 だからかもしれないな、もしかしたら。

 よく分からない文章になってしまったが…Aは果たして社会復帰ができるのか。本人に問題はないと言われているが自分は信じがたい。
 いくら治療をしたとしても人の根本的な部分は変わらないと思っているから。どう精神的に治療したとしてもまだ見えていない部分があるはずだ。それは未だ表に出ていないだろうし気づいていないところがあると思う。
 そして同時に人は嘘を付くことが挙げられる。早く退院したいと考えたら嘘をついてでも出ようと考えるだろう。そう考えていたとしたら本心なのか推し量るすべはない。
 だから自分は問題ないと思わない。

 そして社会復帰できるか不安な理由をもう1つ。
 それは自分達にも関係がある社会的な問題。Aを社会が受け入れるかどうか。自分のように不安だ不安だと言っている人がいる限り受け入れるのは難しいかもしれないな。

 不安であれば誰が犯人なのか気になるし、身近にいれば警戒だってするし、転居して欲しいという訴えだって出てくるだろう。

 あとA自身が社会に適応できるか。7年前と社会はかなり変わっているし、成長上最も大切だと思われる期間を医療少年院で過ごしていたのだから…

 何よりもマスコミが黙ってはいまい。そういう事を知りたいと思う人がいる限り週刊誌などでまた「Aは誰か」などと書きつづるだろう。本名や顔写真が出てきたらそれこそ神戸などでは過ごせないだろう。黙って静かに家で過ごすしかない。
 それが普通の生活と言えるのか。

 今からどうなるのか…見守る事にしよう。
 20日午後4時40分ごろ、奈良県天理市の市立小学校の校長(60)が自宅近くの墓地で、首をつって死んでいるのを校長の妻が見つけ、110番通報した。同小では、昨年5月に男性教諭が授業中に障害者を差別する発言をした後、養護学校に姉が通う3年の女児が不登校になっていた。遺書は見つかっていない。天理署は、これらの問題解決に悩んで自殺したのではないかとみて調べている。


 この前(2/13)に自分が取り上げたことの続報になる。
 こうなったか、という感じ。いつものことだが校長が責任を感じで自殺。校長の自殺が最近は多い。
 だいぶ前だが校歌斉唱の床で広島の校長が自殺したこともある。悪いのは校長だったのか、と疑いたくなる。

 2/13のところを見てもらったら細かいところはわかるが、担任が女子児童に対し差別的な発言をして自動は登校拒否をしているという問題。
 1週間でこういう事態か…

 教育現場での問題の場合ほとんどが校長の発表になる。このことでも担任は謝罪することは無く、校長がどうにかしようと孤軍奮闘していたようだ。
 それに対して教育委員会は他の生徒とはうまくやっているという理由から担任の変更などはしていなかった。校長はというと記事によると児童が登校できるように、と必死になっていたようだ。

 他の児童とは問題ない、とする教育委員会。
 児童をどうにかして学校に来れるようにしたい。

 どちらが教師としてあるべき姿か、それは明らかに思えそうなものだが。
 大勢が大丈夫だからこのままでいいというのでいいのだろうか。一人だから問題ない、大勢になったらそれは問題だ。数の問題ではないだろう。
 一人の児童が来れないだけと軽視しているのであればそれこそ問題だ。誰にでも平等に学ぶ機会があると教育基本法で定められている。この児童も学校で学ぶ権利があるはずだ。そのためにはできる限りのことをしなければならないだろう。

 今教育委員会にできることとすれば担任を指導するかか、またはやめさせるしかない。辞職勧告は最終手段だろうし、すればその教員は職を失う。一種の脅しかもしれないがそれだけ大きな問題だと自覚させなければいけない。

 校長は児童のためにがんばった。
 給食時間だけでも担任を代えるから、と児童に約束をしたが結局担任が拒否したため実現しなかった。そして児童は
「校長先生もうそをついた」
 と登校拒否を再開した。

 なぁ、校長先生はがんばったと思うよ。何よりも児童のことを考えて必死に交渉して安心して学校に来てもらおうとしていたと思う。それだけはきっと嘘じゃなかったと思う…

 先生って一体なんなんだろうな…
 子供を励まし、育てることもできれば夢を壊し学校に来れないようにすることも簡単にできる。
 たっと一人の大人がそんな大それたことをしていいのだろうか、と改めて考えさせられる。

 この校長先生のご冥福をお祈りします。
政府の構造改革特区推進本部(本部長・小泉首相)は17日、特区の第4次提案で、教員免許をもたない社会人が小中高校で教えるための「特別免許状」を、都道府県教委だけでなく、市町村教委も与えられるようにするなど18項目の規制を緩和する方針を固めた。今国会に特区法改正案を提出する。

 さて、教育はどうなるのか、と。最近教員になるという目標を捨てつつあるがやはり教育学部にいるためか教育関係にはちょっとだけ興味はある。
 というより完全に専門なのだが、教育が。

 さて、記事についてだが…特別免許状というのは簡単に言えば教員免許が無くても特別に出しますから教えてください、というもの。
 鹿児島ではよく見られるせしいのだが、僻地(へきち 要するにド田舎と呼ばれるところ)は教育が少ないため複数免許で対応する場合が多い。
 たとえば自分は理科だが、技術や数学を教えたりしないと教員が足りない。ただ、そんなに免許を持っている人は少ないのでどうするか、そこで特別免許状が登場する。
 免許が無いんだったら特別に渡せばいい、というもの。それは教員免許を持っていない人にも法令上適応できるらしい(完全に調べたわけでは無いのでよくわかっていない)
 現在はそれを都道府県が発行している。公立学校の教師は件の職員となる場合が多いので(首都圏では市町区単位で採用を行う場合もある)都道府県が発行している。

 今回はそれを市町村にも任せてしまおうというもの。
 どうなんだろうか…だったら教育学部はいらないと言われているも同然だな。誰でも教員になれるのだから。
 現在の教育学部は以前と違い心理学などをしないと他学部でも取得ができないようになっている。以前は専門教科をすれば免許状がもらえた時代もあったそうだが。
 今はクラス崩壊などがあるためできるだけ心理学、教育学をするようになっている。それなのに一般の人が教師になれることは非常に危ないと感じる。われている実情がある。教師だから問題を起こすと言えばそうなのかもしれないが

 そんな状態で大丈夫なのだろうか、不安だ。教員の採用は減るだろうし、何より教師になったとき隣にいる人は実は教育学部で勉強をしたことが一度も無かった、などがありえるのかもしれない。塾の講師などの可能性だってあり得る。

 小泉さんに言いたいことがある。
「教育をバカにするな」
 しかし悲しいな、今から小学校などに上がる子供たちは。揺れ動き安定しない教育事情に振り回されることになるのだから。ああでもない、こうでもないと迷っている間に子供は成長する。そんな中途半端な状態で教育を受けてなんの得になるか。

 上の人に振り回されてしまうのも教育が制度として成り立っている故の問題だろうか。
02月14日付 朝日新聞の報道「未成年者の喫煙、年間46億本」へのコメント:
http://www.asahi.com/national/update/0214/008.html

 さてさて、大学生になるとたばこを吸う人が異常に増えるわけで。歩きたばこは日常茶飯事。そんなこんなでたばこがだめな自分にとってはいい迷惑。
 大学内どこに行ってもたばこの臭いがする。さっさと禁煙の法律でも出したらどうだ、大学よ。

 そんなことを思いつつこんなニュースを見つけたり。

 しかし最近の高校生はすごいな。何がって納税額。未成年だけでも354億円国に奉仕しているとすると。今度教育基本法で
「国に奉仕する」
 などの愛国心が追加される予定だがかなり奉仕していると思う。財政困難の国を思って自分の命を削ってまで奉仕している喫煙者はかなりの愛国心の持ち主だと自分は思うけど。

 そんな冗談は抜きにして。
 これはどうかと本当に思う。高校生で吸っているのはちょっと問題有り。大学1年の人も当然いかんだろ。浪人して入ってきた場合は確かにいいとしてもだからと言って19歳…違法だ。

 こういうものもあるので
未成年者喫煙禁止法
第一条 未成年者の喫煙防止
第二条 煙草及び器具の処分
第三条 親権者の義務
第四条 年齢の確認
第五条 罰則(50万円以下の罰金)
第六条 両罰規定


 ついでにたばこ産業の方からも
http://www.jti.co.jp/JTI/tobacco/under_20/

 未成年で納税して、ついでに罰金でまた国に奉仕する覚悟があるとは本当に国を愛しているのだな、と思うことだ。そんなことよりもまず自分のことを愛してやれ。
 あとでガンになったとして苦しむのは自分だぞ。肺ガンの検査を定期的に受けたら大丈夫だろ、とか思っているだろうが…X線自体ガンの発生率を引き上げる原因だということに気づいて欲しいものだが。
 
たばこを吸う
 ↓
ガンが心配
 ↓
検査を受ける
 ↓
被爆する
 ↓
結果は良好
 ↓
また吸う

 エンドレス。日本人の平均寿命が短くなるのは時間の問題かな。

 最後に言っておきたいが…たばこを吸うのが大人として当然というのは間違っていると思う。かっこいいからとかそういうことで吸っているんだったらやめた方がいい。
 大学にいて講義終了と同時に外に出てたばこを吸っている人たちを見ると本当につらそうに見える。それを見てかっこいいとと思う人はいるだろうか。
 ちなみにたばこ吸って気持ちいいと思うのは脳の血管を収縮させているため。まぁ簡単に言えば息を止めて酸欠状態でふらふらしているのと一緒。
 つまりはたばこを吸わないでいたら頭がフルで回る、と。それで一般的に点数とか取っている人だったら理論上は一般人以上の思考力を持っていることになる。点数上げたい方は家族に協力してもらって禁煙してもらうといいかも。

 教員を目指す人は大学に入ってもたばこは吸わない方がいい。実習などで禁煙が絶対条件。公共機関では喫煙が認められていないため。大学の公共の教育機関なのだがどこをどう間違ったかロビーに堂々と灰皿が置かれている。

 本当にこの一部でも未成年の禁煙用に使って欲しいものだ。 
02月13日付 朝日新聞の報道「担任の障害者差別発言で小3女児が不登校に 奈良・天理」へのコメント:

 また教諭の不祥事。もう慣れてきている面があるが慣れてはいけない問題だと思う。

 今回はその小学生の姉が養護学校に通っていることについて差別的な発言をしたというもの。
「養護学校の生徒にはよだれがついていることもあるが、犬や猫のよだれに比べてまし」
「手をつながなくてもいいが、つないだ方がいい」
 など。教師の資質が問われるところだが。ところがそこれからが問題。

 その生徒は
「『うそはいけない』と言う先生がうそをついた。先生が怖い」
 と言って登校を拒否。そりゃそうだろう。嘘をついてはいけないと言っていて嘘付いているんだもんな、しかも教師が。自分としては生徒の方が真実を語っていると信じたいのだが…

 そしてできたるだけ学校にきてもらおうと校長は考えて給食時間だけで教師を変えることを約束したそうだ。だが教師側が
「担任は教室を空けられない」
 と拒否。そしたら今度は生徒が
「校長先生もうそをついた」
 …そりゃショックだよな。信じていた先生に裏切られたんだから。ついでに約束までしてくれたのにな、校長先生は。ただ悪いのは校長先生じゃないことは察してあげてくれ。

 学校は当然生徒に謝罪するように求めた。だが教師は
「女児が学校に来れば謝る」
 う〜ん、行ってやれよ。これで教師不信に陥ったのは確実。今後に影響を残す可能性だってある。

 あと教育委員会。
 今のところ他の生徒との関わりには問題が無いので途中で担任を代えるつもりはないとの方針だそうだ。何を考えているのやら。代える代えないの問題以前にそり教師は差別発言をしたと認めているのなら指導を徹底するかしておかないとだめだと思う。
 他の生徒とは関係が良好だからじゃその生徒は別にいいと言っているようなものではないか。学校は教師の働く場所じゃない。子供の教育の場だということを忘れてはいないか?

 そもそも問題なのは
「教師は正しい」
 と思っている大人がいること。それは単なる勘違い、少なくとも日本では。
 教育学部にいるとよくわかる。こんな奴が教師になれるのだろうか、と。本当に思うことが多い。自分はもうなりたくないと思っているのでいいとして。
「教師になったらいろいろと考えが変わる」
「教師は現場で成長する」
 とか言っている人がいるがそれは間違いだと思う。だったらなんのために教育学部にいるのか?無くても別にいいじゃないかという話になる。
 こういった人を無くして、子供を成長させる手伝いをできるようにするのが教育学部であり、教職理解などの講義の目的だと思う。
 それでも直らなかった人をふるいにかけるのが教員採用試験だし…けどまだ残るは仕方ない、人が人を選んでいるのだから。絶対的な基準はないし。

 自分たちの世代は事実上教育学部全員教員採用試験にパスできる年代だ。多くの教育が定年退職するため。団塊の世代というやつだ。
 それは自分たちにとってはいいことかもしれない。この状態で就職率が上がるのだから。けれど問題はそのあとだ。
 その授業を受ける生徒はどうなるのだろう、と。

 今の内にこんなことが起きないように常識をわきまえておく必要性があるのかもしれない。
 熊本県南小国町のホテルがハンセン病歴を理由に国立療養所入所者らの宿泊を拒否した問題で、ホテルを経営する「アイスター」(東京)が8日、大阪市の男子大学生(20)の抗議文を自社ホームページ(HP)に公開した。抗議に対し、同社の秘書室長が入所者らを元暴力団員にたとえて拒否理由を説明する返事を送ったが、この内容が報道され、誤解を避けようとしたという。学生は「事前に連絡はなかった」としている。

 学生は昨年12月、同社長あてに抗議文を出した。秘書室長が、入所者を元暴力団員にたとえ「宿泊客に威圧感と恐怖心を感じさせる」とメールで返送。2月上旬にこの内容が地元の新聞で報道され、「一方的な記事が掲載され、誤解を与えると心配なので交信文を全文掲載する」としてHPに抗議文や秘書室長の返事を載せた。学生の氏名や住所、メールアドレスもそのまま掲載された。

 学生には8日未明、秘書室長から「全文を公開させていただきました」などと説明する内容のメールが届いたという。

 HP掲載後、学生には中傷メールが数通届いた。学生は「事前に公開を了承した覚えはない。人権意識が低い会社と思っていたが、宿泊拒否当時と意識は変わっていない印象を受けた」と話す。

 同社広報室は「(本人の)了解を得たかどうかも含め、会社としてコメントすることはない」と話している。


 まず言えることはただ一つ。
 常識がなっていないということ。大体そうとしか思えない。

 まず、元ハンセン病患者の人たちの宿泊を拒否した時点で常識がなっていない。自分は前期でハンセン病について講義を受けた。自分も調べてそれをレポートにした。
 ハンセン病は一種の感染症で今では治療作が確立されているもの。つまり幹線のおそれはない。そして感染力はインフルエンザより低いと。どちらかというと風邪の方が危ない気がする…肺炎に発展するし。

 そして今回はアイリスに対してコウ決めー炉を送った大学生の手紙をそのままHPに掲載した。法律は詳しくないが、まず人権侵害に当たるだろうし、手紙とはいえ意見文なのでおそらく著作権法にも引っかかるのではないかと自分は思っている。朝日新聞に掲載された今でもまだ残っている。
 どうしてこういう自体に陥ったか。
 簡単に言えば自分たちの名誉が傷つけられるおそれがあったから。朝日新聞などが大学生が抗議文を出したことを取り上げてところ「一部だけで勘違いをされる」と考えたためだと。結局自分たちの立場を余計悪くしたことに気づいていないのだろう。

 ホテルは元ハンセン病の人たちに対してこういう態度をとった上に
「差別は未だ無くなっていないので」
 と意見したということだ。こういうことが差別だとなぜ気づかないのだろうか…

 最後に書いておくが決してこの学生の方にメールや手紙などを送らないように。それは共犯者になる可能性もある。
 なぜ最近はこうも積極的に活動をしている若者をバカにするようなことが多いのだろうか。本当にバカなのはこういうことをする大人では無いのかと思う。
 またYahoo!ニュースから引用。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040210-00000095-myc-sci

カナダ・アルバータ大学の大学院生のMary Modayil氏を中心とする研究調査チームは、インターネットに精神的な癒しの効果があり、うつ病を始めとする気分障害の治療に有益であるとする研究レポートの発表を行った。

同氏は同大学Public Health Sciences学部に在学中、以前に行われた「長時間のインターネット利用は気分障害など精神的に不安定な状態を増幅させる」との結果を示す調査レポートのサンプリングデータを眺めつつ、別の分析結果が存在する可能性に気付いたという。そして、異なる観点から同様の研究調査を進めることを決意した。

精神的に何らかの問題を抱え、長時間のインターネット利用を好むユーザーは少なくないとの調査結果に異論はないものの、新たに同氏は、精神的に難しい状況に陥った時期を特定するよう試みている。その結果として、大半のユーザーが、インターネット利用後に気分障害の兆候が見られるようになったのではなく、インターネットの利用を開始する5〜22年前から、すでに精神的に困難な時期が続いていたことを認めていることが明らかになった。

また、同じ精神医療を必要とする患者でも、よくインターネットを利用する人の方が社交的および外交的であることが多く、地域のボランティア活動などに参加して交友を求める傾向が強いことも判明している。今回の発表では、この調査結果の分析として「精神的に問題を抱える人は社会から孤立しがちであるものの、何らかの社会的な結びつきを求める気持ちは強く、匿名性を保持しながら自分に合った社会的交流を可能にするメディアに引き寄せられるのは当然のこと」とのコメントが出されている。

同大学のGus Thompson博士は、Modayil氏の調査レポートを評価しつつ、通説とされている「長時間のインターネット利用は、引きこもりなど社会的な孤立をもたらし、精神的に悪い影響をもたらす」との既成概念を否定して、インターネットは「諸悪の根源と思われていたかもしれないが、実際は良薬であることが明らかになるかもしれない」と語り、精神的に難しい状況にある人々に大きな助けとなる可能性に言及した。

なお、インターネットやコンピュータゲームを始めとするマルチメディアが社会に与える影響を発表する最新号の隔月業界誌「Cyberpsychology and Behavior」に、今回の研究調査の詳細が掲載されている。真相の解明には、さらなる調査を重ねていく必要性もあると論じられた。


 原文そのまま。というのもYahoo!はしばらくすると原文が削除されるので。たぶんだめだとは思うが…

 情報メディア論で以前ネットゲームについて話をしていた時に自分が言ったことが出ていたのでちょっと紹介しただけで。
 インターネットが引きこもりなどの原因になっているというのはよく言われるが逆の説を唱えた人も珍しい。自分はそう考えていたんだけど…誰も理解してくれなかったし。ネットは社会復帰のきっかけになるし、自分の中では
「ネットで誰かと会話していることは外界と接触しているから引きこもりではない」
 というのが自分の見解。つまり自分の中では引きこもりというのは外界との接触を拒絶している人たちのこと。

 自分はネットでいろんな人と意見交換をしているし、身近な人たちにだけでなくこうやって自分の意見を全国、もしくは全世界に発信している。これは社会に対して参加しようという意志じゃないのだろうか。

 確かにいろいろと悪いところはあるかもしれない。けど現実だって悪いことだらけじゃないか。それを「だめだ」という人はいない。なぜか?
 簡単なこと。自分がいるから。自分がいる場所を否定すれば自分の存在の否定になる。自分はインターネットという世界で双希としての人格を持っている。現実とは違い積極的に自分の意見を公開する。
 インターネットは完全な悪じゃない。どこかにでも良い点があるはずだ。長所と短所というじゃないか。悪いところだって別の方向から見たら良いことだってある。何にでも言えることじゃないかと思う。

 ゲームもだめ、ネットもだめ、テレビもだめ。漫画も青少年の教育上よくないから検閲、小説はためになるからよし。だったら文庫本は?漫画みたいなものだからだめ。
 全部大人のエゴだ。禁止するのは楽だけど認めることはできない。他の見方ができることができればもっと良い方法があると思うのだが。

 たぶんこの意見には反対意見が多数来るだろう。それでもこの人には自分の意見を貫いて欲しいと思う。

SEED2

2004年2月9日 時事ニュース
 が計画されているらしい。

 …
『頼むからやめてくれ!』

 ソースは
http://csx.jp/~para/
 のGK新製品情報2/3+より。本当だったら…見るけどさ。たぶんというか確実に見るけどさ。実習で生きていたら見る。

 監督は誰なんだろう、と思うがF監督だったら期待せずにMSのデザインにだけに注目するとしよう。

 これ以上ガンダムという名を汚さないで欲しいものだが。

1 2

 

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