さて、今日3つ目の日記になる。書きたいことが山の様にあるので書くことにするが…そんな事よりもレポートをどうにかしないといけないわけだが。
やはり佐世保の事件関係。それは興味がある。仮にも教育学部なのだから。仮にもというのは…まぁ教育学部の学生らしくないということから。友人たちと比べたらそりゃ積極性に欠けるからな。
毎日の様に放送しているのだが、いつも耳につくのは
『普通の小学生が』
というコメント。
ところで普通って何? どんなのが普通?
新聞などのアンケートによると今の小学生の半数以上が「殺したい」と思ったことがあるという。それが普通と認められるのか。
人を殺して「普通」でいられるとは到底思えない。これは教育史の講義で教授が言っていた言葉だ。殺せる精神状態はどんなものなのか想像したこともない。自分が死にそうになったことだったら何度もある。むしろはっきりと「死にたい」と。
何度も書いているが以前自分は
『やっぱり普通でいたい』
と言っていた人を知っている。身近な人だった…
その時は「自分が異常なのか?」で終わったが考えたら普通でありたいと思う方がきっと異常だ。
普通でいたい。
みんなと一緒でいい。
良い子でいたい。
そんな考えの子どもの方がよっぽど怖いのにそろそろ気づいてあげてもいいんじゃないだろうか。そんな押しつけられたような状態でいいのか?
実家のご近所の子は中学生になったが無邪気だ。言いたいことはずばずば言うし、未だにいたずらが耐えない。いつも怒ってばかりだがかわいいものだ。
実習で担当したのは同じ年の子どもだった。学校だったからだろうし、自分が先生という立場だったからおとなしかったのかもしれない。
ただ、2日目になると慣れてきたようだが。自分の精神年齢が幼いことも功を奏したようだ。自分の前ではいろいろとしゃべってくれて、雑談をしながら作業をした。
変だと思ったのはその後だった。
先生が来たら黙った。担任なのに…何も話さなかった。
どうしてだ?
自分が中学生の時もこうだったのか?と思ったりしたが。担任が嫌いだったことぐらいしか覚えていない。確かに先生の前は怖いからじっとしていたけど、ちゃんと作業もしていたし問題ないと思っていた。
先生がいなくなってから聞くと
『黙って作業しないと怒るからね』
とか。そうか…納得できた。
たった2日間だけどここまで話してくれた彼には感謝だ。自分には欠けている事がある。
「中学校の記憶」
未だに部分的にしか思い出せない。だんだん霧のように消えていく。もう図書館にいた一部の時間と、川内に試合に行ったことなど部分的。学校にいた記憶もなくなっている。USが家まで来てくれたことは今でもはっきり覚えている。それは学校にいなかったからだろう。
寂しいことだ。
だから中学生の心境など分からなかったから聞けてよかった。
良い子でいたい。自分も高校の時まで結構思っていた。それが親孝行だとも。ただ、それだからか、自分の中で反抗期というものを覚えていない。
中学時代にあったのだろうか…そんな事を考えたりするが講義などで
『反抗期がない子どもほど危険』
と聞くと親にも確認がとれない。臆病だ、自分。
普通でいたいと思ってもそれは自分から見たら異常だ。自分が選んだ道は普通だと思っていた。けど一つ何かが抜けると違うことが見えるものだと実感した。
パズルがこう、崩れる感じで。がらがらと。
たぶんアナウンサーが言っている「普通の子ども」というのは普通じゃないんじゃないかな。
そもそも「普通」って何だよ。
みんな違うと言っておきつつ普通でいたい。矛盾だ。知識が平等だったらそれは「普通」か? 一般的であればそれは「普通」か?
最近普通でありたいと思わなくなった。
「人と違っていたい。どこか一カ所でも、自分が自分であるという事を意識したい」
それだけのこと。自分が自分である以上、どこか他人と違うところがあり、同じところがあるはずだ。同じである部分より違う部分を強調したいな、と。
今まで普通でいたいと思っていたから今更だけどいいじゃないか。
普通でいたいと思うんだったら、変わった人と呼ばれるようになったらいいさ。
雨に濡れたくないと思うんだったらまず濡れてみろ、だ。濡れてどんな感じか分かるからこそ濡れたくないと思うんだから。
これは自分にも言えることだ。
積極的になれ、自分。少しだけでも足を踏み出せ。それで変わることだってあるんだから。
やはり佐世保の事件関係。それは興味がある。仮にも教育学部なのだから。仮にもというのは…まぁ教育学部の学生らしくないということから。友人たちと比べたらそりゃ積極性に欠けるからな。
毎日の様に放送しているのだが、いつも耳につくのは
『普通の小学生が』
というコメント。
ところで普通って何? どんなのが普通?
新聞などのアンケートによると今の小学生の半数以上が「殺したい」と思ったことがあるという。それが普通と認められるのか。
人を殺して「普通」でいられるとは到底思えない。これは教育史の講義で教授が言っていた言葉だ。殺せる精神状態はどんなものなのか想像したこともない。自分が死にそうになったことだったら何度もある。むしろはっきりと「死にたい」と。
何度も書いているが以前自分は
『やっぱり普通でいたい』
と言っていた人を知っている。身近な人だった…
その時は「自分が異常なのか?」で終わったが考えたら普通でありたいと思う方がきっと異常だ。
普通でいたい。
みんなと一緒でいい。
良い子でいたい。
そんな考えの子どもの方がよっぽど怖いのにそろそろ気づいてあげてもいいんじゃないだろうか。そんな押しつけられたような状態でいいのか?
実家のご近所の子は中学生になったが無邪気だ。言いたいことはずばずば言うし、未だにいたずらが耐えない。いつも怒ってばかりだがかわいいものだ。
実習で担当したのは同じ年の子どもだった。学校だったからだろうし、自分が先生という立場だったからおとなしかったのかもしれない。
ただ、2日目になると慣れてきたようだが。自分の精神年齢が幼いことも功を奏したようだ。自分の前ではいろいろとしゃべってくれて、雑談をしながら作業をした。
変だと思ったのはその後だった。
先生が来たら黙った。担任なのに…何も話さなかった。
どうしてだ?
自分が中学生の時もこうだったのか?と思ったりしたが。担任が嫌いだったことぐらいしか覚えていない。確かに先生の前は怖いからじっとしていたけど、ちゃんと作業もしていたし問題ないと思っていた。
先生がいなくなってから聞くと
『黙って作業しないと怒るからね』
とか。そうか…納得できた。
たった2日間だけどここまで話してくれた彼には感謝だ。自分には欠けている事がある。
「中学校の記憶」
未だに部分的にしか思い出せない。だんだん霧のように消えていく。もう図書館にいた一部の時間と、川内に試合に行ったことなど部分的。学校にいた記憶もなくなっている。USが家まで来てくれたことは今でもはっきり覚えている。それは学校にいなかったからだろう。
寂しいことだ。
だから中学生の心境など分からなかったから聞けてよかった。
良い子でいたい。自分も高校の時まで結構思っていた。それが親孝行だとも。ただ、それだからか、自分の中で反抗期というものを覚えていない。
中学時代にあったのだろうか…そんな事を考えたりするが講義などで
『反抗期がない子どもほど危険』
と聞くと親にも確認がとれない。臆病だ、自分。
普通でいたいと思ってもそれは自分から見たら異常だ。自分が選んだ道は普通だと思っていた。けど一つ何かが抜けると違うことが見えるものだと実感した。
パズルがこう、崩れる感じで。がらがらと。
たぶんアナウンサーが言っている「普通の子ども」というのは普通じゃないんじゃないかな。
そもそも「普通」って何だよ。
みんな違うと言っておきつつ普通でいたい。矛盾だ。知識が平等だったらそれは「普通」か? 一般的であればそれは「普通」か?
最近普通でありたいと思わなくなった。
「人と違っていたい。どこか一カ所でも、自分が自分であるという事を意識したい」
それだけのこと。自分が自分である以上、どこか他人と違うところがあり、同じところがあるはずだ。同じである部分より違う部分を強調したいな、と。
今まで普通でいたいと思っていたから今更だけどいいじゃないか。
普通でいたいと思うんだったら、変わった人と呼ばれるようになったらいいさ。
雨に濡れたくないと思うんだったらまず濡れてみろ、だ。濡れてどんな感じか分かるからこそ濡れたくないと思うんだから。
これは自分にも言えることだ。
積極的になれ、自分。少しだけでも足を踏み出せ。それで変わることだってあるんだから。
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