アクセス元表示ねぇ…
2004年7月29日 時事ニュース おもしろいのがあったりして結構好きな機能ではあるんだけど、それが嫌な事にもつながるのがなぁと思う今日この頃。
たまにこっちが意図しないキーワードで来られているのを見ると
「申し訳ないなぁ」
って感じになったりして。特に恋愛関係で
「失恋 立ち直れない」
とかで来たときには…かける言葉も無かったり。それに自分も事実立ち直っているとは言えない状況だったりして。
そんな感じて楽しい時は楽しいのだが、不安になる時も。
今日は
「鉄は砕かれるが運命」
で何度も検索をかけられていたり。もう10回以上これで来られているとどうしてこれで検索して来ているのか心配でたまらない。しかも自分が検索すると決まって自分の日記は出てこない。
あ〜新手の心理攻撃?
そんなことないと思うのだが。
変なキーワードで来ていたりして凹むこともあるし、全然関係ないから来ても情報なんてないですよ〜的な事を言いたいことも度々。
見なかったら見なかったで別に気にすることもないんだろうけどな。以前の形式の時はこういう機能無かったわけだし。それでも書いていたわけだから絶対必要って機能ではない。
ただ、自分が許せ無いのは検索ワードを逆に使って、意見ができないからと言って心理攻撃する輩がいたりすること。そういうことができるだけないように言葉には気をつかっているつもりなのだが。
ネットで自分の事を書くのは根性がいると自分は思うんだけどどうだろうか?
私生活を書けば自分の身分がばれる事も覚悟しないといけない。何か批判的な事を書けばそれに対して叩かれる事を覚悟しないといけない。褒めたとしても反対意見の人は同じ数ほどいる訳でやはり反対意見を覚悟しないといけない。
万人に好かれることは不可能だという事実をたたきつけられる世界でもあるんだろうから。
きっと、匿名性とかいろいろと言っていても完璧な匿名性の世界なんて存在しないはず。自分が分かるようになっているんだろうから。
もし匿名性が守られていても…たぶん自分に嘘は突き通せないだろうな。
アクセス元表示を見ていると自分の日記がいろんな人に公開されている事実を実感する。そして、それぞれの人が自分の求める情報を探って検索エンジンを使ったりしている事も。
読んでいるだけの人は分からないかもしれないが、こうやって気軽に書けるものを書くのには相当根性がいるわけだ。
やってみた人にしか分からない苦労がある。何でもそうだけど、実際にしてみないと分からない苦労だってあるわけだ。
検索して、それを利用するのはかまわないと思う。それでいいと思っているし。
けど、それと同時に忘れてはいけないこと。
「その使っている情報は誰かが手に入れて、キーを打って、何らかの意図を込めて発信している」
その事を忘れないようにしないといけない。
そしてその情報が正しいという根拠はどこにもない事も。
難しい事を言っているかもしれないけど結局は画面を見て、キーを叩いていても、その向こうには誰かがいること。
手紙書いて、ポストに入れて、相手に届くのを考えつつ…待つ。
メールを打って、送信して、相手に届くのを考えつつ…待つ。
壇上で意見を放ち、スピーカーで拡張して人々に伝える。
サイト上で意見を記し、ネットで公表して、人々に伝える。
伝達の途中が現実か仮想かの違いであっても向こうに人がいる事を忘れたらいけない。
読んでいる文章の向こうにはきっと誰かがいるんだと。アクセス元の向こうには誰かいるんだと。
それを考えているだけで、ちょっとは優しくなることができるんじゃないだろうか。
たまにこっちが意図しないキーワードで来られているのを見ると
「申し訳ないなぁ」
って感じになったりして。特に恋愛関係で
「失恋 立ち直れない」
とかで来たときには…かける言葉も無かったり。それに自分も事実立ち直っているとは言えない状況だったりして。
そんな感じて楽しい時は楽しいのだが、不安になる時も。
今日は
「鉄は砕かれるが運命」
で何度も検索をかけられていたり。もう10回以上これで来られているとどうしてこれで検索して来ているのか心配でたまらない。しかも自分が検索すると決まって自分の日記は出てこない。
あ〜新手の心理攻撃?
そんなことないと思うのだが。
変なキーワードで来ていたりして凹むこともあるし、全然関係ないから来ても情報なんてないですよ〜的な事を言いたいことも度々。
見なかったら見なかったで別に気にすることもないんだろうけどな。以前の形式の時はこういう機能無かったわけだし。それでも書いていたわけだから絶対必要って機能ではない。
ただ、自分が許せ無いのは検索ワードを逆に使って、意見ができないからと言って心理攻撃する輩がいたりすること。そういうことができるだけないように言葉には気をつかっているつもりなのだが。
ネットで自分の事を書くのは根性がいると自分は思うんだけどどうだろうか?
私生活を書けば自分の身分がばれる事も覚悟しないといけない。何か批判的な事を書けばそれに対して叩かれる事を覚悟しないといけない。褒めたとしても反対意見の人は同じ数ほどいる訳でやはり反対意見を覚悟しないといけない。
万人に好かれることは不可能だという事実をたたきつけられる世界でもあるんだろうから。
きっと、匿名性とかいろいろと言っていても完璧な匿名性の世界なんて存在しないはず。自分が分かるようになっているんだろうから。
もし匿名性が守られていても…たぶん自分に嘘は突き通せないだろうな。
アクセス元表示を見ていると自分の日記がいろんな人に公開されている事実を実感する。そして、それぞれの人が自分の求める情報を探って検索エンジンを使ったりしている事も。
読んでいるだけの人は分からないかもしれないが、こうやって気軽に書けるものを書くのには相当根性がいるわけだ。
やってみた人にしか分からない苦労がある。何でもそうだけど、実際にしてみないと分からない苦労だってあるわけだ。
検索して、それを利用するのはかまわないと思う。それでいいと思っているし。
けど、それと同時に忘れてはいけないこと。
「その使っている情報は誰かが手に入れて、キーを打って、何らかの意図を込めて発信している」
その事を忘れないようにしないといけない。
そしてその情報が正しいという根拠はどこにもない事も。
難しい事を言っているかもしれないけど結局は画面を見て、キーを叩いていても、その向こうには誰かがいること。
手紙書いて、ポストに入れて、相手に届くのを考えつつ…待つ。
メールを打って、送信して、相手に届くのを考えつつ…待つ。
壇上で意見を放ち、スピーカーで拡張して人々に伝える。
サイト上で意見を記し、ネットで公表して、人々に伝える。
伝達の途中が現実か仮想かの違いであっても向こうに人がいる事を忘れたらいけない。
読んでいる文章の向こうにはきっと誰かがいるんだと。アクセス元の向こうには誰かいるんだと。
それを考えているだけで、ちょっとは優しくなることができるんじゃないだろうか。
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