■車内に男女7人の遺体、集団自殺か? 埼玉・皆野 [朝日新聞]
2004年10月12日 時事ニュース12日午前6時過ぎ、埼玉県皆野町皆野、美の山公園観光道路脇の駐車場で、ワゴン車の車内から男性4人と女性3人の遺体が見つかった。目立った外傷がなく、車内に数通の遺書があり、練炭四つが置かれていたことなどから、集団自殺とみて調べている。
県警秩父署によると7人のうち4人は、さいたま市の主婦(33)と埼玉県所沢市の無職男性(20)、佐賀市の無職女性(20)、青森県の男子大学生(20)と判明。残る遺体の身元を調べている。
さて、最近TVでも話題になっているが集団自殺の事について。
時事ニュースを取り上げるのは本当に久しぶりなのと、未だに詳細がはっきりしていないので控えめに。
ニュースや新聞ではネットの自殺願望のある人が集まる掲示板で知り合った人たちが集団自殺したと報道されている。本当かどうか分からないが、恐らく集団自殺をしようという話になったのはネットでだろう。佐賀から来た人もいたらしいので。
こういう事件が起こるたびに
「インターネットというものは恐ろしいものだ」
「こういうのは無くすべきだ」
などの意見が聞かれる。ここを見ている人の多くはこういう考えで無いかもしれない。または少しはそう思っているかもしれない。
集団心理とは怖いもので、傍観効果(誰かがするだろうと考え誰も行動しない)も集団心理と言える。身近な行動の中にもそういったものは存在する。
周りに流されるというのもその1つに挙げられるだろう。今回はそれが死と直結してしまったわけだ。7人集まってから気が変わってもそれを言い出す事はできなかったのだろう。みんなそう思っていたとしても、中止は無かったのだろう。
一人だったら大丈夫だったのかもしれない。そう思うとネットよりも集団心理の方が怖くないだろうか。その集団心理を引き起こす引き金はネットだとしても結局死に導いたのは集団心理という人間の心だと自分は思う。
ネット場悪者扱いされるのはもう慣れてきた。自分の親はネットをすることを悪いとは言わず、方法さえ間違うなとだけ言う。良き理解者でもあるし、ネットのおかげで家族と会話をしていることもあるのだろう。こういう家庭で成長している自分なのでネットが無くなると非常に困るわけだ。
別に情報を専門にしている身では無いのでどうこう言える話でもないし、心理学もかじった程度。
だけど言える事は
「インターネットは1つの情報伝達の手段にすぎない」
それだけは言える。
この前の事件と一緒だ。包丁で殺人が起こったらだったら包丁を作った人が悪いのか。もちろん使った人が悪いのだろう。包丁で自殺をしたら包丁を売った人が悪いのか?売った人はきっとそう言った使い方をすると知っていたら売らなかっただろう。
規模は違うがそういうものだと思っている。
別に死のうと思うのは勝手だが、そんな死ぬ勇気があるんだったら生きろ。実習中自分だって死んだら楽になるのかとかそういうことを何度も思った。そんなことでと思われる事でも死にたくなる事だってある。
だから無様だけど自分を痛めつける事でしか自分を慰めることができなかった。一人だったから…
集団心理で死のうと思うんだったらどうして助け合って生きようとか思わないんだ。死ぬ事に手を貸してくれる人がいるんだったら生きる事を手助けしてくれる人がいることにどうして気づかない。
死にたいとか本気で思っている人はいないはずだ。
どうしようもないから死ぬしかないという結論に達したに違いない。
ネットを無くしたらきっとこういった集団自殺は減るのかもしれない。けど、その裏で一人悩んでいた所にネットで知り合った人たちが手をさしのべてくれて助かった人もいるのではないだろうか。
集団自殺は減っても一人で苦しんだあげく自殺する人はどうなるんだろう。
今自殺とか考えている人がいたら言いたい事がある。
死ぬぐらいだったら生きてもがき苦しめ。今悩んでいる事があってもそれはそのうち笑える事になるはず。何か絶対に方法があるはずだから自分で自分を殺す事だけは本当に止めて欲しい…
死にたくなくて死んでしまった人の事を考えてみろ。まだやりたい事がたくさんあったのに何もできなくなってしまった人の事を考えてみろ。自分で死のうとか考えられる事だけまだ恵まれているんだからさ。
ネットで自殺しようとする人が集まる事ができるんだったら逆のことはできないのだろうか、とニュースを見つつ考えてしまった。できると信じたいところだ。
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