ISBN:4344406109 文庫 木藤 亜也 幻冬舎 2005/02 ¥560

 実習校の朝読書で読んでいた本。
 ドラマ化ということで読んでみた訳だが…
 正直泣くとかに縁がない自分にとっては泣ける話では無い。
 泣ける人は泣けるのだろうが、どうも自分には合わなかったようだ。
 それがまず自分の感想。

 ただ、自分にとっては「健常者が徐々に障害者になっていく」という様子を知ることが出来たことは収穫。
 事故などで急に動かなくなるわけでは無い。
 徐々に症状が進行していき、回復する見込みは無い。
 その中でたった17歳の女の子がどうそれと向き合っていくか。
 それに誰しも感動するということだろうが、自分はそこまで感情移入することも無い。
 よって病気の症状などの方に目が行ってしまった。

 1リットルの涙というのは日記の途中に出てくる言葉。
 実習校の子どもからは
『そんなに涙って流れるの?』
 そんなことを聞かれたり。
 多分ね…一生合わせたらそれぐらい泣くんだと思うよ。
『泣き虫だね』
 この子本当に泣き虫だったんだよ。
 だけどね、泣いて、それでも生きようとしたわけさ。

 きっと体が次第に動かなくなるというのは恐怖だったに違いない。
 自分はストレスで時々右手の感覚が麻痺することがある。
 動かなくなり、ずっとそのままでは無いかと思うことがある。
 その恐怖の比では無いはずだ。
 体の自由が無くなることは生活に支障をきたすこと。
 そして、結果として出来ることが少なくなること。

 亜也ちゃんは結果として起きあがることも出来なくなった。
 たった5年程度で寝たきりになる。
 どれほど動ける時のことを思い出し、涙したことだろうか。
 歩けなくなり、車いすに乗るようになる。
『楽ちんだね』
 と気軽に言った職員の人を恨むような文章もあった。
 その内夢で歩かずに車いすに乗っているようになった。
 ろうの方も以前言っていたことだが、夢でも声は聞こえず手話だとか。
 それは現実を認めたことか。
 それともその状況しか想像出来ないからだろうか。

 ただ、自分は彼女のことを尊敬する。
 当時年下であった彼女は生きることを諦めなかった。
 将来けこの体で出来る仕事は無いだろうかと必死に考えていた。
 考える事が今できることと思い考え続けていた。
 次第に動かなくなる体を感じ、それでも将来を見続けていた。
 そんな状態であっても生きることを諦めなかった。
 ただただ生きようと前を見続けていたように感じる。
 自殺しようなんて考えなかったのだろう。

 この日記を書いた亜也さんは昭和64年に亡くなった。
 20歳を越えた頃に日記は止まっている。
 症状が悪化しマジックで書いていた日記も書けなくなったから。
 彼女は日記を書くことで自分が生きた証を残すことが出来た。
 最後まで「誰かの役に立ちたい」と願い続けた彼女だが、きっと役に立っている。
 この本を読んで勇気づけられた人がいただろう。
 生きることを諦めていた人が生きたいと思ったことだろう。
 奇しくも将来人の役に立ちたいと思った彼女は死ぬ間際になり人の役に立った。
 彼女は空の上で喜んでいるのだろうか。
 人の役に立てていることを喜んでいるのだろうかと気になる。

 今度はお母さんの書記の方を読もうと思う。
 感動目的ではなく「病気と闘い続けた人がいる」ことを知るために。

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