日曜〓終わって〓

2005年11月20日 日常
○終了したのだが…
○なんでこんな時間まで…

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 0507発の電車で鹿児島に戻ってきた。
 先週の今頃はまだ都城にいて、昼間にじいちゃんの所に行ったんだった。
 確かあの時は
「熱も下がってきたし、元気になってよ。
 また家に帰ったら飯でも食おう」
 そんな事を言った記憶がある。
 もう二度と叶わないのだが…

 ここ数日を振り返ると本当にあわただしかった。
 鹿児島に戻ってきたら翌日にじいちゃんが亡くなったという報告。

 その翌日に慌てて都城に戻り、その夜は親戚一同で家族通夜をした。
 葬儀場に行った時じいちゃんは布団に寝かされていた。
 白い布を顔にかぶって。
 本当に寝ているような顔で、ただ色が白くなったなと。
 それは長時間室内にいたから白くなったからではなく、血の気が無くなったから。
 寝ているような顔で今にも起きそうで…
 だけど触ったその顔は水のように冷たくて。
 血が通わなくなるとここまで冷たくなるものか、と。
 それで「あ、もう返事も何もしてくれないんだな」と思うと涙が出てきて止まらなくて。
 隣にいたばあちゃんが
『いつもじいちゃんは「双希は元気にしてるんか」って言ったよ』
 そんな事を聞くとただただ泣くだけしかできないで。
 9時過ぎになりじいちゃんが行っていたデイサービスの職員の方が来られて
『お孫さんですか?』
「はい」
『双希さんですよね。6月ぐらいでしたか、確か帰ってこられましたよね』
「たぶん下旬ですね」
『その前日に来られたんですが朝から「明日孫が来る」とお話をされてまして、滅多にしゃべられないのにすごく話をしてくれましたよ。』
 そんな話今されても…
 もう会うことも叶わないというのに。

 翌日は友引だったので本通夜。
 近所の方達も来たりで少々賑やかだった。
 というか、笑い声が出たり。
 最初顔を見たりした時は泣いていたが、その後は思い出話が出たりで良い雰囲気。
 人が良かったからなぁ…
 こういう賑やかな雰囲気を見ても悪い気はしていないだろう、とか考えながら受付をしていた。

 土曜日は葬儀。
 通夜の時に正座をしてほとんどの人たちが惨敗したため椅子になった。
 特に自分といとこが大変な事になっていたのだが。
 立てないし、しばらくうずくまるしで。
 1時間ほどお経を聞き、それから最後のお別れ。
 亡くなった時と何も変わらない。
 つまり生きていた時、寝ていた時と何も変わらない状態だった。
 ただ違うのは体温が冷たすぎる事と二度と動かない事。
 棺の蓋を開けて中に花を入れ込む時涙をこらえつつしたが、我慢しきれず。
 別れの杯を入れた後、従兄弟と話して
『これぐらいの酒じゃ足りないだろ』
 とかで霧島スナック(そういう焼酎)を1本入れる事にした。
 そして少し唇を湿らして、蓋を親族で閉めた。

 霊柩車の後に付くようにして火葬場に。
 本当に最後。
 お坊さんが言われていたが『肉体とは最後のお別れ』だと思うことにして送り出した。

 2時間経ち、その間に飯を食い、火葬場に戻ってきた。
 ばあちゃんと伯父さんが遺骨を出すところに付き添い、自分たちは収骨室に。
 白いものだけが残っていた。
 分かるのアゴや背骨など。
 理科室にあった人体模型が少し古くなりぼろぼろになった感じさえした。
 そう冷静に考えていた自分。
 それは多分これがじいちゃんだと理解していなかったからだろう。
 遺骨は、しっかりとしていたと母さん達は言っていた。
 自分でも見てわかる。
 足が弱っているとか言っていたが大腿骨はしっかりと残っていたし、膝関節などは球体そのものだった。
 のど仏もきれいに残っていた。
 あれは背骨の第2番であって、男性の喉にあるのは軟骨のため残らないとか。
 背骨なので男女ともに残るということだとか。
 退場するときひとかけら破片を拾ってきた。
 本当は持っていって良いか聞きたかったのだが次の人が来ているということで断念。

 そして初七日を終え家に。

 2週間前、じいちゃんはデイサービスの所から病院に行った。
『帰る』と言ったが念のためとばあちゃんが言い入院することにした。
 それから2日後肺炎を起こした。
 高熱と胆に苦しまされ、一応ということで親戚が呼ばれたのが先週のこと。
 安定した事に安心し自分は通うに帰り、水曜に亡くなった。
 たった2週間の出来事。
 短すぎて、そしてこれ以上ばあちゃんに負担をかけるわけにはいかないと思ってのことだったのだろう。
 最後まで無口で勝手な人だったと思う。
 そして最後まで夫として、父として、祖父として自分たちに生き様を焼き付けてくれたと思う。

『思い出すたびに隣にいますから、肉体は無くなっても思い出すことでいつも側にいる事を忘れないで下さい』
 この言葉だけがただただ耳に残る。

 今日帰ってくる時にばあちゃんにルーズリーフを渡してきた。
 いつかばあちゃんが立ち直ったとき、気が向いたときにでもじいちゃんのこと、ばあちゃんが生まれてからどう育ってきたかを書いてもらおうと思って。
 そして今から一日一日を大切にして欲しいという思いを込めて。

 じいちゃんには本当に感謝している。
 母さんは末っ子で、だから都城に長い間いた。
 そのの息子である自分は身近にいる孫だった(従兄弟達は大阪と千葉にいる)。
 だからすごくかわいがってもらった。
 そして自分は思いっきりじいちゃん子だった。
 覚えてはいないが、小さいときは足音だけでじいちゃんだと分かったらしい。
 父さんに抱かれても泣きやまないのにじいちゃんだとすぐに寝てしまったとか。
 大きくなってからも一緒に買い物に行ったりと都城に戻るといつもどこかに行っていたな。
 車の免許を取ってその次の春からは自分の運転で花見が恒例となったし。
 初めて乗せた時
『初心者マークでこれだけできたら上出来。良くできました』
 ソウ褒めてくれた時本当に嬉しかったなぁと。
 思い出そうとすればいくらでも思い出せるような気がする。
 だけどそれは自分が生まれてからのことで、たった23年。
 その23年にどれだけのことがあったことか…

 家にじいちゃんを連れて帰ってくる車の中でばあちゃんが笑いながら
『じいちゃんはね、きっと幸せだったと思うよ。
 母さん達が結婚して一時家にはばあちゃんと二人だけだったから。
 だけどね、双希が生まれて頻繁に家に来るようになって、じいちゃんの生きがいはきっと双希達の成長を見ることだったと思う。
 双希がじいちゃんからかわいがってもらったのは感謝しないといけないけど、じいちゃんは生きがいをもらったってきっと感謝しているよ。
 だからね、精一杯生きてじいちゃんを安心させてあげないといけないよ』

 本当にありがとね。
 安らかに眠って、たまに起きて自分たちを見守って欲しい。

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 電磁気学のレポート終了。
 最近こんな時間にばかり寝ているので結構きつい。
 しかも疲れてぱたん、が多いな。

 明日起きれるかなぁ…

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