水曜〓葬儀〓

2007年5月9日 日常
 そして葬儀当日の朝。母さんの一声で飛び起きる。
『今電話があって最後だからみんなで一緒に朝ご飯食べるよ、って話になったって』
 ……どうしてこうも行き当たりばったりなんだ。
 慌てて着替えて寝癖だけ直してウエストポーチと車の鍵を取って出かける。
 ちなみに父さんの髪は予想通り寝癖だらけで大変なことになっていた。

 斎場に着くとそこには3人分の朝食が。
『先に食べたからねー』
 という祖母の声。
 ……あれ一緒にでは?

 朝から回らない頭を回しつつ飯を食ったが余り入らず。珍しい、最近自分は極端に小食になってしまったようだ。
 それから一度母さんと母方の実家に戻り布団を畳んだり洗濯物を干す手伝いをして再び斎場に走る。
 母さんが運転すると言っていたが目がやばい。充血している、というより血走っている。
「少しだから自分が運転する」と言って助手席に押し込む。

 斎場に着いてから親戚や葬儀に参加してくださる方々を案内したり。
 始まりの30分ぐらい前に斎場の人から焼香の形式を説明される。ありがたい、昨日と違って今度は日本語だ。
 説明してくれた人を筆頭にぴりぴりしている。やはり厳しい寺がするからだろう。
 隣は坊さんと談笑しているのだが、それを見て親族一同で『うらやましい』と一言。

 葬儀は特に問題も無く終了。焼香の手順を少し間違ってしまい坊さんに睨まれたぐらいだったか。
 結構大問題だろうか、もしかして。
 そうそう、お経を読んだのは昨日の坊さんだったわけだがお弟子さんと思われる方が太鼓の達人ばりに鐘を叩き続けて頭が痛かったが。3分近くも叩き続けるものなのか。初めて知った。

 葬儀は終了し、それから最後のお別れ。
 棺を開けてそれから杯と続き、最後に花を上げてと。
 涙ぐみながら花を入れていく人たちを見つつ自分はただただ棺の中を見ているだけだった。視界はゆがむことなくはっきりと見続けていた。

 火葬場に行き再び斎場に戻り昼飯。時計は15時過ぎを指し昼飯というよりはおやつの時間になっていた。
 一段落し焼香という自分の一番の課題を終えたからか急に腹が減り思いっきり食った。残したのはひじきの煮物と果物だけ。母方のばあちゃんから
『まだひじきは駄目ね?』
 と言われたが食えないものは仕方ない。こいつは自分の天敵だ。ナメクジで言うところの塩だ。水分の代わりに自分の生気を吸い取るんだ。

 飯を食ったあと参列してくださった人を送り自分達は火葬場に。父さんは写真を持っていたので自分が運転して行くこととなった。
 さて行くぞというところで伯父達が一言
『ところで火葬場はどこ?』
 今更っすか。つかさっき行ったところで……と説明するのも面倒だったので自分が先導することとなった。
 計5台離れないようにと言われたが、善処します。

 火葬場に無事到着……と思ったら一台来ない。
『真っ直ぐ行ったみたいなんだけど』
 暫くして到着したので良かったが、葬儀社のおっちゃんは『時間がない』と本気で焦っていた。

 骨になって出てきた祖父を見て今更だが「「ああ、亡くなったんだな」としみじみ思ってしまった。
 橋渡しをして骨壺に詰めてと一つ一つ終わっていくと実感が少しずつ湧いてくるものだ。
『もう顔をなでることもできんわ』
 そう言いつつ祖母は骨壺をなでていた。
 17時を過ぎていたので斎場で電話を借りて職場に電話をし、明日休みをもらうことにした。さすがに無理だ。電車がない。あることはあるが22時発24時着。たぶん今晩は21時ぐらいまで飲み騒ぎがあるだろうからな……

 それから帰宅し、片づけをしたり親戚を見送ったりと中々ゆっくりすることもなかった。
 気づいた時には21時過ぎ。
 親類は解散し、明日10時に集合となった。自分も人数に入っていたが両親から
『双希は勉強しておけ』
 と言われて不参加に。後々それで良かったと思うわけで。

 疲れていたが一段落したので両親とお疲れの乾杯。
 都城に来て周りは酒を飲んでいたが自分と母さんだけは一滴も飲まなかったから余計にうまかった。
 3人で500mlの缶を4本ほど開けたところで睡魔が襲ってきた。
 23時か……久しぶりに日付が変わる前に寝れそうだ。
 そう思いつつ布団に入り寝た。案の定意識はすぐに切れた。

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