火曜〓通夜〓

2007年5月8日 日常
 仮通夜に続いて今日が通夜だった。

 正直7日以上に何をしたか覚えていない。
 覚えていることと言ったら納棺をしたこととかそういうことぐらい。自分の中期記憶の無さにがっかりだ。
 まぁどたばたしていたからと言えば確かにそうだが。

 納棺は午後からで、何を入れるかという話になった。
 国鉄職員だったので時刻表と路線図を入れて、あとは新聞をいつも隅から隅まで読んでいたので新聞を一枚入れることとなった。
 叔母さんは泣き崩れて、それを母さんと伯母さんが支えていた。父親が亡くなったんだよな、自分だったらたぶんぼろぼろだ。

 斎場へはいとこの車で向かい、それから少し駅に出かけた。
 いとこの『時刻表とかあって切符が無いのはなー』という意見で。
 駅までは元地元民の自分が案内して行くことにした。
 切符は西都城から160円区間。働いていた都城駅までってことで。本当だったら都城駅の切符が良かったのだろうけどね……そこまで頭が回らなかった。

 それから斎場に向かい、控え室などの場所を確認。母方のじいちゃんの時と同じ斎場なので大まかな場所は分かっているのだが周りに場所を聞かれた時に困るので念のため。
 先日熊本で道にの迷って凹んだが、今度は酒も入っていないし大丈夫だろう。うろうろとして頭に色々と叩き込む。

 通夜は無事に終了したが母方のじいちゃんと全く違っていて違和感があった。
 お経が聞き取れない。
『なーみょーほーえーーーーーー』
 ほえーはさくらだけで十分だしそんな可愛くも無いし。ちなみに顔はカンフー映画に出ててヌンチャクを振り回して良そうな顔だった。
 あとお経が終わったら一言あるのだが
『通夜と葬儀は亡き故人をしのぶもので有りそれを通じて自分の存在を……』
 とか説いていたが後になり明日の作法についての説明となった。
『まず斎場で最も位が上である導師に合掌礼拝をし』
 矛盾してないか。または「生きている中で」の話かと思ったが心の中で生き続けなど説いていたのでどうだろうかと。
 あと作法が長い。話の半分以上が作法の話だった。厳しすぎる。何がって話が聞き取れない。ここまで滑舌が悪いと何語か分からない。誰か日本語化パッチをくれ。

 そんなことがあったが以前近くに住んでいた人たちも来てくれてありがたかった。
 通夜の後飯を食ったりしていたわけだが自分は海苔巻きを一つ食べて斎場に置いてあったサイダーを隠れて一気飲み。
 そして近所の人を送りに行った。斎場にいるのもなんだか面倒だったし風呂に入りたかったので。
 以前住んでいた家を見ていると弟分だった子が
『兄ちゃんたちがいなくなってすぐに入ったんだけどこの前出て行って今は空き屋だよ』
 だから電気もついていないのか。
 あとは高校の話を聞いたりして、笑って話をしていた。熊本に行った時家族で笑って話をしていたがそれがもう遠くのことのように思える。

 そして風呂に入り机でうとうとしてしまった。
 母さんからは『もう寝なさい。あとは母さんが行くから』と言われたが母さんが風呂から上がる前に着替えて出かける準備をして軽く勉強をしておいた。
 一方父さんはというと風呂から上がって布団へダイブしていた。早いよ。そして寝癖になるぞ。

 母さんと二人で斎場に行き伯父夫妻が風呂に入っている間斎場で話をしたりした。
 ――今日の坊さんの話。

 お経が聞き取れなかった。
 自分だけかと思ったらいとこたちもだったらしい。
『いーいーいーいー』
 と言い続けていて聞きつつ「ショッカーか!」とタカトシ並に突っ込んだのも自分だけでは無かったらしい。
 話の話題があるというのは良かったのか悪かったのか……ネタとしては微妙だけど。
 そんなこんなで話をしたりしていたら母方の実家に帰り着いたのは4時前だった。
 あ、東の山肌がなんだか明るいよ……

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